私的考察編。「”話し合う”の解像度を上げてみる。」

■概要。(2021/10/06)

「”発信し合うTwitter“での会話の出来なさをみるに、どうやら”火力”ではどうにもならない。だったら逆に…」というお話。

大元の過去記事: https://note.com/arx8leva2/n/nbbfe657e15c9

■以下、私流の「学習の痕跡」しるし。 (私的考察編) 

※過去ログの検索は、こちらから。


おはようございます。言語化チャレンジ中の中崎雄心です。よろしくお願いします。

さて、今回は「話し合い《はたしあい》」の競技ルールを改めて深ぼってみたいと思います。

選手代表はTwitterレターポット」。

競技ルールは「球技」。

しかしその「プレイヤー人数」と「使用可能な弾数」は…

というお話。

それでは、はじまり、はじまり。

■(1/6)小さく始める「Twitterつぶやく」自体は、理には叶っていた。

説明は、もう不要だろうか?

そもそもの「140文字の独り言」というアイデアは非常に良かったと思う。

誰も彼もが”読まれる長文”を書けるわけではないし、読み切れる訳じゃあない。

圧倒的な義務教育の整った日本でさえ、識字率ほぼ100%は達成出来ても…勤務時間外で「執筆」「読書」「勉強」を後進国以上に引き上げる事は不可能だった。

ならば義務教育が整っていない、世界各国では?

恐らく、人々が「言語」で語り合う事は、決して日常的ではない。


なので、いきなり長文でムリヤリ相互理解を試みるよりも…


なるほど、まずは「140文字」という「単語以上長文未満」の縛りは画期的だったのかもしれない。

少なくとも、このTwitterという競技に参加したプレイヤーの間では「必ず140文字以内で発信する」という”ルール”を共有出来た。

手を使うと反則になる新競技「サッカー」みたいな共通ルールだ。

この競技は非常に斬新だったし、バズったし、何より多くの人の心を掴んだ。


それはきっと、素晴らしい事だった。


ただ…


肝心要の「人類の読解力」では、この新たな共通ルールには全く対応できなかったのだ。


■(2/6)Twitter呟きは、リツイート告げ口されるべきでは無かった。

どシンプルに、小学生のイジメ問題がこのシステムエラーから成り立っている。

本人は全く意図していない文脈で発した言葉が、全く別のコミュニティに部分的に切り取られて大炎上。

小さな誤解や前提の違いといった「空白」を、どうしても人は「己の既知の理」だけでムリヤリ補おうとしてエラーを起こす。

この際問題なのは、「知識不足」と「読解力不足」、そして「確認不足」だ。

■(3/6)戦争理由は「豚肉への解釈違い」だけで事足りる。

例を出そう。

北欧:「豚肉は、美味しい。」
中東:「豚肉は、食べると死ぬ。」

果たして、ウソを言っているのはどちらだろう?


当然ながら、どちらも実体験を語っているに過ぎない。


冷涼な気候では豚肉は安全な食べ物なので、ベーコンやハムに加工されて人々に豊かさを与えてきた。
熱帯の気候では豚肉はすぐ腐敗するので、誤って死者が出ないように宗教と戒律で食事を固く禁じた。

今となってはそれこそ小学生でもわかる事実だが、しかし当事者の間では「そんな異世界の理は誰にも想像さえも出来ない」のが当時の現実だ。

具体的には…

「我ら人間と”異なる理”で活動するコイツらは、きっと悪魔や邪教の敵に違いない。」

とかいう邪推。

こういう

「相手も己と同じ理で生きている筈だ」
「なのに異なる結果が出力されている」
「よってコイツらには悪意があるに違いない」。

という浅瀬な三段論法によって、バラ肉一つでさえ人々はかくもバラバラになれる。そりゃとことん脂が加わり炎が燃えて止まらず、後には何一つ美味しくないただの燃えかすしか生まれないだろうさ。


Twitterは「体格別の出場権」の競技ルールを制定したが、なまじ言葉が通じてしまったせいで「我らのルールと異なる貴様らは、全員もれなく邪教の異教徒である」という正義感を煽ってしまった。

思えば、”匿名で仮面を被れるの”もマズかったかも。
人は仮面を被ると、しばしば人格が変わってしまう。
誰でもヒーローになれる世界には、世界を維持する為に「もっと沢山の悪役」をムリヤリにでも作らなければいけなくなってしまったのだ。


どうやら「話し合う」という競技は、「お互いが同じ体格レベル140なら分かり合える」という訳ではないらしい。


では…


もしも、「参加者全員が同じ理で成立する世界」があったらどうだろう?


この空論、実は既にある。

昨年の「西野亮廣エンタメ研究所」にて開設された、「サロン限定のTwitterコミュニティ」。

通称、「鍵垢」。

なんとまさかの、リツイート異なる理への告げ口が存在しない世界だ。


■(4/6)まさかの、Twitterで「会話が成立する」という驚き。

システムを考案した、西野亮廣さんもまさかの結果にびっくりである。

要は

「実名顔出し推奨の仕組み」
「リツイートできない仕組み」
「サロン以外の世界に繋がらない仕組み」

という独自の理を制定した結果、ちゃんと「話し合い」という競技が成立したのである。

あの荒れ放題即炎上上等のTwitterなのに、である。


どうやらここでも「同じ理を共有している」のが戦争を無くす確かな方法らしい。

そして。


■(5/6)更に、「言葉の弾数」と「プレイヤー人数」を絞った”レターポット”。


そう、レターポットだ。


そもこのサービス自体は、鍵垢が成立するよりもずっとずっと前から存在しているサービスではあった。

特徴的なのは、「文字を使えば使うほど、手持ちのメダル文字が減っていく事」だ。

Twitterが「1回につき140文字」(但し何回でも投稿可能)だったのに対し、
レターポットは「1回の制限自体はない」(但し手持ちのメダル文字は減る一方)という違いがある。

「水道の蛇口」を絞るのがTwitterなら、そもそもの「水のタンクの量」自体に縛りを設けたのがレターポットだ。

贈れる対象もたった1人。

更に縛りが加わっている。


弾数無制限の「文字」を固めて無差別に周囲に投げ合っていたTwitterは、さながら雪合戦のような戦争状態を生んだが…


まるで貧乏でろくにボールを買い替えられない子供に「文字」を渡したような…

そんなレターポットでは、果たして一体どんな競技が生まれたか?





答えは、「キャッチボール」。


「話す」に圧倒的な縛りが生まれた結果、なんと人々は、言葉を「受け止め合う」ようになったのだ。




■(6/6)まとめ。

「話し合う」の本質は、相手の言葉を「丁寧に受け止め合う」を体現する事だ。

一方的に言葉を乱発して物量で圧倒しても何も産まない事は、もうTwitterがとっくに証明している。

相手が正しく扱ってくれた上での「NO」なら価値があるし、何も解さずに突きつけた「NO」なら、やっぱりTwitter化の堂々巡り。

世の中の平和を決定していたのは、実は他ならぬ「受信者リアクターの反応」だったのかもしれないね。


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