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《Laughter》と三浦春馬さんと憶測。

突然の知らせ。本当に驚いた。三浦春馬さんに関しては「頑張っている役者さんだな~」くらいの温度で見ていた。先に断っておくけど『コンフィデンスマンJP』を観ていない。ドラマも映画も。しかし自死を選択したことがある、そして友人の自死を受け入れるということをしたことがある私にとっては、傍観していられなかったのでこれを書くことに決めた。

たくさんの作品の撮影が終わり、これから多くの人たちに見てもらう。そんなタイミングなのに、この世が嫌になってしまって旅立つことを選択した。彼なりに、何かの区切りがついてしまったのか?そんなこと、本人以外誰にもわからない。とにかく番組テロップで彼への「ご冥福をお祈りします」が悲しくてたまらなかった。

そこで私は映画『コンフィデンスマンJP』(~編とかあるのかな?ごめん、調べる時間がないからこれで許してくれ)の主題歌である、official髭男dismの《Laughter》を聴きながら、歌詞を眺めていた。

先に確認すれば、もちろんこの曲は彼がこの世にいる間に、しかも本人以外は(も?かな)誰もがこの世に長くはいるだろうと思っていた時に創られた曲であるはず。

空を待ち焦がれた 鳥の急かすような囀りが聞こえる          鉄格子みたいな街を抜け出す事に決めたよ 今

この歌詞を読んだとき、この世が「鉄格子」のように感じ、抜け出すことを決めてしまったのかな?という推測をしてしまった。そして1番最後の

自分自身に勝利を告げるための歌

という、一節が、彼の選択は間違えではなかった。そんなことを示しているんじゃないかと思った。

そう思いながら、音楽を聴くと涙が溢れてくる。どうしたら苦しみから逃れられるのか、と模索しながら生きていたのかもしれない。そして様々な積み重なりや、何かしらの決定打があったのか。自死が自分の答えだ、と思ったのだろう。それを私は悪いこととは思わない。そうさせる何か、があったのだろう。

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今、様々なSNSの書き込み、記事が溢れている。私はそれを読むたび、反吐が出る。憶測はやめた方がいい。私たちは家族でも友人でも事務所の人間でもない。いや、むしろ、そうした身の回りの人たちでも知らない、彼自身しかわからない気持ちがあったのかもしれない。こうして私が書いていることだってすべて憶測。

三浦春馬さんには、大変申し訳ないと思いながら書きました。でも、こうした憶測が飛び交うのは本当に嫌。彼から「だからこの世は嫌いなんだよ」と思われないように、私たちは過ごしていかなくてはいけないのだと思う。

もう一点。髭男にも謝らなくてはならない。勝手な歌詞の解釈をした。いや、これは別に様々な解釈はありのものなんだろうけど、そのつもりで書くはずのない状況だったのに、歪曲解釈をした。そうすると作者の意図とはズレていくよね。思わぬことが、作品に対しての捉え方が変わってしまうのだと、今回の事を通して思った。

私たちは自由に発信することができるようになった。だからこそ自分の都合に合わせて、様々なことを発信してしまうことがある。本当の事実に基づいていないと、人を傷つけることにもなる。そんなことを頭の中にしっかり刻んでから発言しなくてはならない。

とにかく若くして亡くなった三浦春馬さんには、「もう自由になった。」と思っていてくれたらいい。そんな風に思っている。