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The rise and fall of Guns N' Roses, owned by Axl Rose

■The Silence of Guns N' Roses


1993年、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったガンズ・アンド・ローぜズは全曲カバーの『スパゲッティ・インシデント』を発表します。
ただこのアルバムに収録されている曲の実際のレコーディングは『ユーズ・ユア・イリュージョン Ⅰ&Ⅱ』と同時期に行われており、ユーズ・ユア・イリュージョンのリリースに伴うワールド・ツアー終了後にメンバーが集まって制作されたものではないようです。

そういえば、1993年1月には『ユーズ・ユア・イリュージョン・ワールド・ツアー』2度目の来日となる東京ドーム3days公演もありました。
この時もホントに東京まで行きたかったのですが、1992年末にマイケル・ジャクソンの東京ドームでのコンサートがあり、当時は奈良に住んでおり、お金にも時間にも余裕がなかったので、マイケルを選んでしまったんです。マイケル・じゃくそんのデンジャラス・ツアー、私は1992年の12月30日の公演に行ったんですけど、“ブラック・オア・ホワイト”の演奏の時に、ガンズのスラッシュが登場してドームが沸き上がり、その公演のハイライトだった覚えがあります。

そのような時から約半年、ガンズ・アンド・ローゼズは1993年の7月のアルゼンチン、ブエノスアイレスの公演を最後に2年余り文字通り世界中を回ったワールド・ツアーを終えたわけです。後になって、スラッシュなどが回想していますが、このツアーに出たことがバンドの崩壊に繋がったということは何とも言えないロックやガンズの破滅的な側面が浮き彫りになって表れているような気がします。

ツアースタート直後、イジ―がバンドを抜けたことなどから、アクセルはツアーの続行とバンドの存続のためにメンバーに契約書へのサインを要求し、バンドの所有権を握らせないと自分がツアーに出ないというようなことを言い出したらしいです。莫大な損害賠償が発生することもあり、メンバーは渋々要求に応じたということですが、スラッシュなんかは自分がアクセルに雇われたバックバンドのメンバーのように感じたと言っているようですし、1994年に再スタートの第一弾となる映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』用のストーンズのカバー曲“sympathy for the devil”のミックスの際にスラッシュのギターの上にアクセルが連れてきたギタリスト、ポール・トヴァイアスのギターを被せたものをリリースしたことで、スラッシュは憤慨、決裂の決定打になったよです。当時そのようなことはつゆとも知らなかった私のようなファンは「次のガンズのオリジナル曲はどんなものになるのだろうか?アルバムの制作はいつになるのだろうか?」という期待しかなかったのです。

ただ、もともとメディアに対してオープンでないアクセルでしたから、期待に副うようなニュースは聞こえて来ないどころか、1996年にはスラッシュが正式にガンズ・アンド・ローゼズのメンバーではないことそのスラッシュがベースのダフ、ドラムのマットと一緒に新しいバンドを組んだり、ガンズ・アンド・ローゼズがもうバンドとしての実態のないアクセルのプロジェクト名になっているといった寂しいものばかりでした。

■Fall of Rock


気がつくと、1990年代も終わり、ロックだけでなく、カルチャーの中におけるポップミュージックとしてのロックという音楽がイメージするもの自体大きく様変わりしていたように感じます。これは全くの個人的な感想ですが、若者だけが抱える鬱屈した衝動を表現するのにロックはクラッシックになってしまったのではないかと思います。新しい実験的な表現はもうロックには無くなっていたような気がするのです。それはリスナーが年齢を重ねたのと同じでそのリスナーの要求に応える音を作ろうとすると、それはいわゆるコンサバティブなものになり、やがてそれがトラッド的になっていくのはファッション(流行)の要素が強いもにには必然であると思います。
一番とがった音楽としてのロックはそのころに亡くなっていたように思います。

それからもう20年以上もの年月が経っているのですから、歴史的にはもう2周くらいしているのかもしれませんし、ガンズ・アンド・ローゼズとアクセルの沈黙もたかだか5~6年のことなのですが、当時その沈黙期間は長い長いもののように感じられました。

■Rise of Axl Rose


そんな、2001年01月01日にラスベガスでガンズ・アンド・ローゼズが復活ライブを行うことがニュースになり、公式のHPも開設されました。
そのページにはこのTシャツにあるアートワークと噂になっていたニュー・アルバムのタイトル“Chinese democracy”の表記があり、それが、それまでのガンズのイメージとは全くことなるものだっただけに、逆にワクワクしました。新しいガンズ・アンド・ローゼズとアクセル・ローズなら、また何かこのロックが停滞した音楽シーンをガラリと変えてくれるんじゃないだろうか?という期待でした。
私にはそれがもの凄くクールに観えたのです。
そこころにはネット環境も充実していましたから、復活のガンズやアクセルの様子を一生懸命検索した覚えがあります。
(ただ写真や映像を撮ること自体にもの凄く規制が厳しかったらしく、ハッキリとしたガンズ・アンド・ローぜズやアクセルの姿はほとんど見られなかった)
アクセルは太ってしまったこと、ギターにケンタッキー・フライド・チキンのバケツとマスクを被った大柄の変人がいるとか、そういう情報が、新しいガンズ・アンド・ローゼズを一層ミステリアスな存在にしていたようにも思います。

ただ、割と時間を待たずに新生ガンズ・アンド・ローゼズを観ることができました。2001年にブラジルのリオデジャネイロでロック・イン・リオ3が開催されそこにガンズ・アンド・ローゼズが出演することが発表されたからです。ロック・イン・リオはあのクィーンの回で、女装したフレディに大ブーイングが起き物が投げられたりして大変なことになったことをお話しした大規模なイベントで、不定期に開催されていたので2001年、新世紀に入って初めて開催されることもあってもの凄く話題になったのです。世界規模のイベントなので、衛星放送などでも中継されますから映像化が必ずされるのです。

私も、ブートレグの映像を西新宿で仕入れたか、友人がCS放送されたものを録画したものを観ました。
その日はOasisも出演しており、Oasisの演奏の最後にリアム・ギャラガーが「この後に伝説のバンドが出るぜ」ってイントロデュースしていたのが印象的でした。「リアムにとってガンズはdisる対象ではないんだぁ」と思ってちょっと意外に感じたのです。やっぱりOasisが大好きだった友人がついでに録画してくれたものだったのかもしれません。
そしていよいよガンズの登場です。アクセルはウワサほどは太っていなくて、ただイメージ的におっさんになったように見えたからだと思います。

もちろん割腹がよくなってお腹の周りを楽にするためかゆったりしたウエストがゴムのジャージのパンツに上はチンピラが着るようなだらりとした半そでのシャツで首からアクセサリーをジャラジャラと垂らしていて、ヘタするとギャングスタ・ラッパーに見えなくもない姿でした。

そして、噂の怪人ギタリスト、バケットヘッドはウワサの通り、本当にケンタッキーのバケツに白い仮面(ユーチューバーのラファエルさんが被ってるようなやつ)の背がシュッと高い線の細い感じの見た目。もの凄くタイム感のあるテクニカルなギターで、速弾きもタッピングもエフェクト音も奏でるような、スティーヴ・ヴァイのようなギタリストだなーと思ったら、案の定、フランク・ザッパの門下だったという、いずれにしてもスラッシュやイジ―とは真逆のタイプのギタリストでした。それとドラムのブライアン・ブレイン・マンティアがこれがまた正確なリズムと軽快にも聴こえるビートを刻んでいて、バケット・ヘッドのギターとの相性がバッチリ決まっていました。ギターはバケットヘッドの他にロビン・フィンクというナイン・インチ・ネイルズから引っ張ってきたギタリストとアクセルが独断で加えたポール・ヒュージ(トヴァイアス)例の悪魔を憐れむ歌のカバーでスラッシュのギターに被せた問題のトリプル・ギター体制だったのですが、全くオーバープロダクションにならず、旧ガンズよりタイトな音になっていたのが凄く新鮮でカッコよかったんです。

旧ガンズが70年代から続くルーズなロックを体現していたのに対して、もの凄く現代的な音に聴こえたのがその時の印象でした。

今思うと、あの時、アクセルがやりたかったのはああいう感じのものだったんだなぁ~という感じがします。そしてそれを体現したアルバムが“Chinese Democracy”なんだと思うのですが、それは多くのガンズ・アンド・ローゼズのファンが待ち望んだものではなかったというは結果がものがたっているのかなぁと思います。アクセルの才能はエッジィなところよりもドラマティックでバラエティ豊かな表現力に発揮されると思うんですよね。そういう意味では少し中途半端な印象を受ける曲ばかりな感じがするチャイニーズ・デモクラシーというのが私の感想です。タイトルトラックとかBPMをアップしてドラムは全部打ち込みにしてとかにすると面白かったりしないかなぁと思ったり。私はその辺は詳しくないので、趣味の方なんかに伺ってみたいです。
ただ先ほども言いましたがこの時イメージやこの時のメンバーでの演奏は結構好きです。

■Chinese Democracy T-Shirt


なので、Tシャツも持っています。多分、これは非公式のものですが、同じような柄の公式のものもあります。
このTシャツ、この時のガンズの人気の度合いも相まって、そんなに人気はないようですが、2001年の1月1日ラスベガス公演限定のオフィシャルのものは数もすくないようでもの凄い高額で取引されているようです。


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