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フランキーは言った

■80年代を象徴する音


Season8では80年代のポップ・ミュージック、ロック・ミュージックを象徴するものとして、MTV、ミュージック・ビデオについてお話をしてきました。
ビジュアルが音を凌駕するまさにビデオキルドザレディオスターです。
この邦題『ラジオスターの悲劇』という曲はThe Bugglesと言うニュー・ウェーブバンドのヒット曲でMTVで放送された最初の曲だということをこのシーズンの第1回目の動画でお話ししました。やっぱりこれはなんとも象徴的な逸話だと思っています。
ただ、ビジュアルだけが新しいものだったと言うわけではありません。ビデオと合わせて80年代を象徴する音も作られていきます。
1980年代はその先進的なイメージを音でも表現できる曲、バンドやアーティストが作るメロディーやギターリフや歌詞だけでなくトータルの音作り、プロデュース、プロデューサーにも注目が集まるようになったと言った特徴もあると思います。
ループするビートにキラキラとした軽快で美しいメロディーを乗せた80sディスコ・サウンドが印象的なストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースチーム。
跳ねるようなリズムやベースラインが印象的なナイルロジャース。
そして、サンプリングした音を音階で流すことのできるシンセサイザーの発達とそれを駆使して表現される音、特にオーケストラ・ヒットと言われる沢山の楽器を同時に『ジャン!』と鳴らしたような音をキーボードだけで表現した音でポップ・ミュージック、ロック・ミュージックに革命をもたらしたトレヴァー・ホーン。

■プロデューサー、トレバー・ホーン

トレバー・ホーンがビデオがラジオスターを殺したと歌う『ラジオスターの悲劇』のバグルスのリーダーですから、まさにビジュアルと音で80年代の音楽に革命をもたらしたということになります。
トレバー・ホーンはまず離散状態であったバンドYesを復活させる音を作ります。
もともとYesのメンバーの内ベースのクリス・スクワイアとドラムのアラン・ホワイトのプロジェクトとしてスタートしたレコーディングに他のメンバーが合流して、Yesの復活にして大ヒットアルバムの『90125』アルバムが作られました。
そして、そこからシングル・カットされた "Owner Of A Lonely Heart" が全米No.1になるのですが元メンバーでプロデュースをしているトレヴァー・ホーンの音に尽きると言っても良いのではないかと思います。
と言うのも、この『90125』アルバムはそれまでのプログレッシブ・ロックのYesの音とはまるで違う音、全く別のバンドの音になっていることからもわかると思います。
トレバー・ホーンはバグルス、イエス、に続いてフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(フランクシナトラがハリウッドへ)という奇妙な名前のバンドをトータル・プロデュースしてデビューさせます。

■フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド登場


まず、シングル曲"Relax"がその歌詞の内容がものすごく性的なものでイギリスではラジオで放送禁止になったり、ビデオ・クリップもかなりインモラルな雰囲気の過激なものだったり、スキャンダルな話題を振りまいて記録的なヒットになりました。続く"Two Tribes"はグルーヴ感のあるビートとやはりここでも効果的に奏でられるオーケストラ・ヒットが印象的なまさにトレバー・ホーン節全開の曲でした。
ビデオクリップも80年代の東西冷戦真っ盛りな状況を痛烈に皮肉った内容、というか皮肉どころか当時のアメリカのレーガン大統領とソ連のチェルネンコ書記長のビミョーなそっくりさんが地下各闘技場で目潰し、金的お構いなしの何でもありの決闘する内容だったのですから、これもウケにウケて大ヒットするわけです。
それらの大ヒット曲を収録したアルバム『Welcome to The Plesure Dome 』も大ヒットしスキャンダラスな歌詞、過激なビジュアル、そしてゲイを公言するメンバーもいたり、1983年、1984年はフランキー一色といった感じのイギリスの音楽シーンでした。

■フランキーは言った


フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの象徴的なビジュアルイメージに
この白地に黒い太い文字で『FRANKIE SAY 〜』というのがありました。
〜の部分は”RELAX DON'T DO IT” であったり"ARM THE UNEMPLOYED"(失業者を兵隊に)”WAR HIDE YOURSELF"というものがあったりします。
今日、コチラで紹介するものは”WAR HIDE YOURSELF"バージョンのものです。
『Welcome to The Plesure Dome 』アルバムではエドウィン・スターの"War"邦題:黒い戦争という名曲をカバーしていたり、そこからこのワードのチョイスなのかもしれませんが、これが一番カッコ良くて好きでした。
これ、多分前回紹介したキャサリン・ハムネットの”CHOOSE LIFE”キャンペーンTシャツを元ネタにしていると思うのですが、当時のイギリスではこっちの『FRANKIE SAY』の方が有名になっちゃってた感じです。

そんなセンセーションを巻き起こしたフランキーでしたが、ライブでの演奏ができないことが問題になったり、トレバー・ホーンの言うことを聞かなくなったりしてこの一枚目のアルバムでトレバーとの関係は解消となってしまいます。
そうすると、あの大騒ぎが嘘のように急激に勢いを無くします。
1986年にはアルバムを出しますが、全く売れませんでした。
プロデュースの違いが如実に出た典型的な例だと思います。
ということで、80年代的な喧騒とプロデュースの力とTシャツのお話でした。


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