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2021年出会いの風景

2021年8月1日、日が落ち始めるのが少し早くなったかな?と感じる夕刻16時。私はかつて知ったる新宿伊勢丹から明治通りを渡わたって飲み屋がひしめく一角の雑居ビルにたどり着いた。
エレベーターのない階段を3階まで上がると、その店の扉は静かに開いていた。
ROCK BAR 『Upset The Apple-Cart』
ふらっと入るとカウンターにいた店主はギロリとこちらの顔見て
「酒は出ないよ」
と一言。
「はい、かまいません」
と応えて、促される前にカウンターの端に腰を下ろした。
エアコンで冷やされた鉄製のカウンターテーブルが気持ちよかった。
店主は入り口のドアをガチャンと閉めた。
アイスコーヒー、コーラ、ペリエ、ノンアルコールビールが500円と手書いたメニューがカウンターテーブルに出される。
春から続く飲食店へのアルコール提供と営業時間の制限により、まだ明るいうちからアイスコーヒーでロック・バー。なんともちぐはぐな感じではある。しかし、そんなことは百も承知でここにまで来たのは理由があった。

50歳を過ぎた三年前、会社組織内での潮目が変わった。気がつくと実質的なポストを失い名前だけの管理職になっていた。挙句昨年、社内の新設部署に異動になり、仕事の右も左も分からない状況になってようやく「これって干されたってこと」だと気付いた。
気付くのが遅い?その通りだが、もともと21年前、派遣村と言う言葉が世に出始めたころ、まさにその派遣社員と言う組織のヒエラルキーでは最下層に位置する立場から始まり、その勤める会社がグローバル企業の1グループ会社とは言え、何階層もある組織のパラダイムをいちいち突破しながら、直雇用の契約社員、一般職、総合職、そして管理職まで、駆け足登山で登って来た私のような人間には知りようもなかったのだ。まして、自分の置かれた状況を相対確認するような同期入社の同僚もいなければ、世話になった数少ない上司たちはすっかり引退しているか第一線を退いた後であったので、置かれた状況がどのようなものか、確かめようもなかったのである。
「5時まで男」と死語にもならない言葉の通り、定時になったらとっとと帰宅してまだ幼い娘と遊んで過ごすのも悪くはないか、とも思ったのだが、管理職を外されたことで収入面の心配もあった。そう娘はまだ未就学で成人するころには私は70歳に手がかかる。家のローンだって残っているし、おまけに妻は体調崩して仕事を辞めたばかりだったのだ。
どうやら「そういうところに落ちていってるらしい」そうなってようやく気づいたわけである。そんな状況で(何もやることがない時間を使って)己の「やりたいこと」を考えた。1年がかりで考えた。
なんとも恥ずかしい話ではあるが、その答えは「おらYouTuberになる!」だった。

己の才能、アイディア、センス、そして努力と根性、ほぼそれだけで、世に中に何かしらのメッセージを発し、世間の耳目を集め、中には大金を稼ぎ、その姿さえも大衆にさらすことで己の価値を高めているような、一握りのYouTuberは私にとって現代のロック・スターのようにも感じられたのだ。
だからといって、多くの人を惹きつけるような、才能もアイディアもセンスもなく、ましてや見てくれさえ良くないのだから、そこから何をどう努力すればいいのやら、どう根性を出せばいいのやら、そう多くの人がここまで読んで思うのは「お前が努力するところはそこじゃないだろ?根性出してもう一回組織人として働けや!」と言うことだろう。
至極その通りである。
ただ、1つの光を見てしまったのである。現代のロック・スターになるために、唯一神から授かったものがあるとしたら、それはロック音楽とTシャツへの愛だと。
もう30年以上も前からロック音楽とTシャツのことばかりを考えていたんだから、そこには何かしら世の中に発信できることがあるかもしれない。己の中のロックそのものが現代のロック・スター(YouTuber)への道だった。だと思った。
そして、少ないバンドのメンバー(YouTubeチャンネル上の仲間)を集めいよいよデビューしたのが2021年の新春のこと。
当然、ロック・スターへの道のりは容易なものではなく、というか箸にも棒にもかからない有様だった。
もちろん容易なものだと思っていたわけではないが、まず動画をアップロードすれば200人300人の目には届くだろうと、1ヵ月ぐらい経てば収益化の見込みだって立つだろうと、そのくらいを想像してはいた。ところが、動画の合計再生回数100回、登録者数30人と言う悲惨な有様、ほぼ友人、知人しか見ていない事といった具合。少しでも存在を広めようと、それまでやっていなかったSNSを始めた。Twitter、Instagramそしてこのnote。それぞれにアピールする写真や画像を用意してアップしたnoteには動画で話した内容をテキスト化して、追加エピソードやイラストも載せた。
毎週の企画会議で色々とテコ入れ策も考えて、チームのメンバーとは夜中まで話し合った。1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、季節は春になっていた。
状況は全く変わらず、一本動画を上げても再生回数は100行けばいいところ、登録者数も35人、収益化など夢のような話だった。それでも不思議と、悲壮感はなく、この新しい活動が楽しかった。一応、何かをクリエイトしているという感覚はあったし、それは自分自身の内面との新しい出会いでもあった。一緒にクリエイトしてくれているメンバーは二人いてこの二人とも何十年も会っていなかった学生時代の友人なのだが、この二人に定期的に会う(一人はオンラインでだが)といったことも現代的な邂逅であった。そうしてそのメンバーとはYouTubeの企画の話はもちろん、時世の話、くだらない話、懐かしい昔話なんかを夜の夜中までゲラゲラと笑って過ごした。
そして、2021年のゴールデン・ウィークも外出自粛が宣言されていた。
アルコールを提供してくれる飲食店はなく、私はもっぱら自宅でウイスキーをコーヒーで割って飲む毎日だった。

そんな中、私のYouTubeの内容をテキスト化したnoteの記事に「いいね」がついた。
大体の人がそうであるように、その「いいね」をつけてくれた心優しい方は一体どのような記事を書いているんだろう、とそのアカウントを辿る。
なるほど、音楽と言うよりカテゴリ、ロックと言うタグで引っかかって記事を読んでいただいたらしい。
そのアカウントの先には「フリートーク・ロックバー読本」という記事があった。
そのnoteの記事にはKindleの電子書籍「ロックバー読本」の中で取り上げられているロックの曲について、著者であるロックバーの店主・西川宏樹氏が書いたエッセイの抜粋が紹介されていた。そして、PodcastやYouTubeへのリンクが貼られており、その先ではKOMOREBIを主催する細井氏が西川氏にインタビューする形でエッセイの中身を掘り下げていくと内容のものであった。そこにあると感じたものはロックミュージックを媒介としたごくパーソナルなストーリー・テリングであった。曲を取り上げてはいるものの、その曲に関する解説はほとんどさわり程度しか出てこない。中には全く触れられない場合もある。そういった意味ではこのエッセイやコラムから「その曲の良し悪しや自分にとって好きなものか否かを評価評論する」ような音楽評論ではない、ロック音楽と西川氏個人の物語を感じた。
持論ではあるが、これから100年の間のうちに個人の物語はアートに昇華すると思っている。本当の意味で誰しもが物語りを発信するアーティストたり得ると。
デジタル化されたデータにオリジナルの署名を乗せることが、いつ、誰が、どこで、何をしたかの証明であり、それが高額で取引される現代の価値観、いつ、誰が、どこで、何をとは物語そのものではないだろうか。
私自身はその発信の手段としてYouTubeやnoteと言うメディアを利用しているつもりだったので、デジタル書籍、Podcastその他を使った物語の発信に強烈なシンパシーを感じた。
ただ単にロックとお酒が好きだった故なのかもしれないが、もうそれすら込みである。
ロックバー読本のデジタル書籍、フリー・トークロックバーのPodcastなどすべてのコンテンツを読み聴きした後、私は思った。
「この店でロックを聴いてお酒が飲みたい。そして、この人と話をしなければならない」

そうこうするうちに、いつの間にか蝉の鳴く季節になっていた。
オリンピックの花火はでかでかと打ち上がったが、人が集いロックを聴きながら酒を酌み交わすようなかつての日常が戻ってくるめどは全くついておらず、ダラダラと締め付けるような鬱憤を空気として吸い込むこと、その方が日常になりかけていた。
どうやら、ロックバー『Upset The Apple-Cart』もお上の要請に従いアルコール提供は無し、21時以降の営業はナシ、というもはやロックバーとは呼べない形態ではありながら、営業されている様子が伺えた。そして、8月1日の日曜日、ぽっかりと空いた午後、新宿3丁目に向かったのだった。
50歳を過ぎた低迷YouTuberはダラダラとした鬱憤を晴らすための刺激に新しい出会いを求めたのだ。
それが酒も出さないロックバーを訪れた理由だった。

カウンターにゴトンとiPadが置かれ、ペンとA4サイズの紙が添えられた。
「説明すると、ここに曲が書いてあって、アーティストがアルファベット順なっている。ビートルズならB、ストーンズならRの所。アーティストと曲がアルファベット順に並んでいるから、リクエストする曲を紙に書いて」
そう説明されてiPadをスワイプしてみるとかなりの曲数がありそうだったので、とりあえずアルファベットAから Alice In Chaines の”No Excuses”
Bは Black Sabbath の"Evil Woman"
Cは Crosby, Stills, Nash & Young の "Carry On" をリクエストした。店主が店の真ん中に置いてあるMacをいじるとスピーカーからジェリー・カントレルのギターストロークが聴こえてきた。この曲はアリスのメインソングライターであるジェリーがボーカルのレイン・スティリーに向けて書いた曲。
するとその次の曲に Faith No Moreの"Easy"が流れてきた。
90年代のグランジオルタナティブの中で音楽的なバラエティー感はレッチリをしのぐバンドがコモドアーズの名曲をカバーしたもの。
次にかかった曲はリクエストしたサバスの"Evil Woman"トニー・アイオミのサウスポーから繰り出される独特のギターリフとまがまがしいほどに強力なギザー・バトラーのベースに自然と身体が横に揺れる。その後に流れたのはオジー・オズボーンの”Goodbye To Romance" とカーディガンズがカバーした"Iron Man"(異色のカバー)だった。
そして最後のリクエストである Crosby, Stills, Nash & Young の"Carry On" の次にはニール・ヤングの ”Cinamon Girl” がかかった。どうやら店主が私のリクエストに応える形で曲を入れてくれているようだ。
途中、常連らしき男性客が来店し、その方のリクエストを挟みながらかかる曲はまさに夏の夕暮れのメランコリアであった。
店の窓からさす夕暮れの日の光に少し黄昏を感じた私の心情を悟ったかのような選曲であり、どれも私のリクエストした曲を踏まえたものであった。
陳腐化された表現に過ぎないのだけれど、そこにはロックという音楽を愛するものの無言の会話があった。そしてその表現は更に陳腐かもしれないが音楽を通じたた会話がこの後いつまでも続きそうな感覚を確信的に感じたのだ。そんな体験はここ以外では感じる事はなかった。他のロックバーやジャズバーは無論、どんなライブハウスやクラブでもそんなことを感じた体験はなかった。
2時間と言う時間があっという間に過ぎた。自分のYouTubeチャンネルの企画ミーティングのため横浜に戻らなければいけなかった。
お会計を済ませ席を立つと
「ありがとう、またな」
と声かけをかけられたので「また来ます」と応えた。

そして、紅葉した葉が落ち始める季節のころ、
(気がつくと「感染者数」と言う言葉に一喜一憂することもなくなりつつあった)私が ROCK BAR 『Upset The Apple-Cart』のカウンターに座ると何も言わずとも、バーボンのボトルとチェイサー代わりのアイスコーヒーが置かれるようになった。
そして、お酒をのみ、ロックを聴き、横浜に向かう最終電車に飛び乗る。

YouTubeには毎週1本、トータルで52本の動画をアップロードした。noteにもほぼ同じくらいの数の記事をあげている。

これが私の2021年の新しい日常、新しい人との出会い。ロック音楽が繋いだ出会い。



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