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Don't Trust Over 30 in 1997

■ 一曲目


「マイ・ウェイって曲知ってるよね?」
「卒業式とかで歌うやつでしょ?」
「まぁ、そうだけど…その元の曲」
「わかんない」
「フランク・シナトラとか、プレスリーで有名な」
「シナトラってゴッドファーザーに出てくるよね?」
「モデルでね、それ僕が教えたんでしょ?」
「そうだっけ?」
ユキと話していると、会話はいつまでも転がり続けて、結局僕の言いたい事はなかなか伝えられないのだ。
90年代半ば、まだ社会人のスポーツ競技が企業の広告宣伝として(その機能はバブルの崩壊ですっかり失われていたにも関わらず)細々と存在していた頃、ユキは勤めていたオフィス家具や事務用品メーカーのアメリカンフットボールのチームでボランティア的にマネージャーをやっていた。神奈川の相模原から都内のオフィスに毎日9時に出勤するため、自宅からバスと電車で約2時間、毎朝5時起きで通勤し、昼は都内の文具店にルート営業で外出、夕方に帰社した後はクラブチームで雑用。土曜日曜も練習やリーグ戦やらでほとんど休みなし。高卒2年目の若さゆえの体力と世の中知らずと、チームに14歳年上の彼氏がいなければ、とても続かないだろうと思っている。そんなことを思う僕はと言えば、ただただ映画が好きで、タランティーノに憧れてレンタルビデオ屋でバイトをしようとバイト募集の貼り紙を見て応募したところ、バイトの募集はビデオ屋ではなく、系列店の文具店の募集だった流れでそのままその文具店で働き始めた27歳のフリーターだった。
バイトを始める前の1年間、金はなくとも時間だけはあり余っていたので、毎日映画と音楽三昧、テレビ東京の午後のロードショーでやるようなライトな映画と10代を過ごした80年代を中心に70年代Rock黄金期の音楽を掘って観聴きするおかげ、人に話ができる程度の知識だけはついていた。
毎週水曜日の午後、僕がバイトしてる文具店にルート営業で来店するユキと顔を合わせるようになり、最初は仕事の話から半年ほどでたわいもない趣味の映画や音楽の話をするようになり、いつしか毎日の愚痴っぽい話を聞くようになり、14歳年上の妻子持ちの彼との恋愛相談にまで乗るようになっていた。
「なんでそんな年上の妻子持ちと?」と言うような事は一切口にしなかった。
仕事以外の会話をするようになったごく最初の頃、彼女が好きだと言うヴァネッサ・パラディの主演する映画『白い婚礼』を知っているか?と聞かれたときに
「若い美しい少女に魅了されて苦悩する中年の教師の話」と要約して返答した時の
『彼女の微妙な面持ち』
を忘れていなかったからだ。
こちとら伊達にフランスの映画好きデザイナーのショップで何年も勤めていたわけでは無い、アムールの国の映画と恋愛の機微についてはわかったつもりでいた。
ユキの恋愛がほぼ100%の確率で破綻する事は分かっていても、そんな付き合いはやめたほうがいいなどと型にはまった事を言う気はさらさらなかった。
そんなこともあってだろう、彼女はいつしか何でも好き勝手に僕にしゃべるようになっていた。
仕事の愚痴も、女友達の悪口も、彼とのSEXのことも、もうなんでもだ。
14歳年上の彼氏に比べれば7つの歳の差なんて近いうちに入っていたのかもしれないし、もともと運動嫌いの文化系映画好きが仕事や彼氏に生活を合わせる無理の反動もあったのだと思う。知り合って1年の頃になると土日のどちらかは2人で渋谷のシネマライズにいた。

「で、何だっけ話?」
「忘れちゃったよ、言いたかったこと」
「あのさぁ、」
「何?」
「マネージャー、やめたんだ」
「へぇ、じゃぁもっとたくさんの映画、一緒に観れるね」
そう僕が言うとユキの顔はぱっと花が開くように色づき広がった。それを見て僕は、”あー超える時が来た”と思った。
「キスがしたいな」
「え?ここで?」
渋谷のど真ん中、人がいっぱいのここで、人目を気にしてキスができるほど情熱だけに身を任せるようなことができたならもっと楽に生きられる。
「人のいないところで」
僕はユキの手を引いて、宮下公園へ。すでに日が落ちていたが、宮下公園も人が多い。そして、宮下公園から明治通りを渡る歩道橋に出た時、足元に流れる車以外、周りには何もなかった。
”ダンダンダン ダンダダダダン” ”ダンダンダン ダンダダダダン


目を閉じると、さっきまで観ていた映画でかかっていたイギー・ポップの”Lust For Life”に乗って、その映画の主人公たちのように疾走する自分の姿が浮かぶ。
湧き上がる高揚感、脳内でぐるぐると渦を巻くようなギターメロディー、沸き上がった欲情をもう一度下半身に流し込むようなイギーの歌声、鈍く重い雲がかかった1997年の渋谷に1977年ロック黄金期から届いた一撃。
デヴィッド・ボウイの暗黒の才能に飲み込まれそうになりながら全力で抗うイギー。ボウイの影を振りほどくように疾走する汗と激しく胸を打つ鼓動が感じられるこの曲は、若くて可愛くてなまめかしい女の子にゆっくりと飲み込まれていく僕の意識と逆走して脳に流れ込んで行った。たまらなくかっこいい一曲目。

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■ 二曲目

「あの曲は誰の曲?」
「デヴィッド・ボウイの”Life On Mars?"って曲」
ユキの顔は花が開くようにパッと色づき広がった。その頬に涙の通った後を薄いファンデーションが縁取っているのが見える。
「今度会う時、CD持ってくるよ」
どうも自己犠牲的な女性にユキは自身の姿を投影してしまうらしい。
そして、泣きながらもそういう映画が好きなのは、自己愛から来るものんじゃないかと見ている僕がその隣にいる。
映画は、主人公が愛する人とひと時も離れたくないと強く思うも、その愛する人は事故で全身麻痺の意識不明になってしまう。そしてその愛する人を救うために主人公は自分の全てを捧げる誓いを立てるといった内容だ。
この映画、チャプターごとに、プルコム・ハムやエルトン・ジョンやロッド・スチュアートやディープ・パープルといった70年代ロックの名曲が流れる。その中の1曲がデヴィッド・ボウイの”Life On Mars?”だった。
14歳年上妻子持ち彼氏の所属する企業チームのマネージャーを辞めてからも、社内での大先輩である彼との関係は微妙な様子だった。
”Lust For Life”の一件以来、ユキは彼とのことをすっかり話さなくなっていた。
おそらく、僕に気を遣っているのだと思うのだが、その気遣いがどういう方向を向いるものなのか、既にほとんど客観的で冷静な判断力を欠いていた僕はそのことを考えるだけでも苛々してしまうほど弱く愚かな典型的なボーイだったのだ。

「ムッちゃんは私がふと知りたいと思った映画とか音楽の事、何でもないことのように知ってるでしょ? 今までそういう人が側にいたことがなかった」ユキはそう言った。
いや、僕は多少映画が好きで人よりちょっと観る時間があっただけ、そして才能に溢れキラ星のごとく輝くアーティストが心血を注いで作り上げた曲にただただ感動しているだけに過ぎない、そんな僕に一体何ができると言うのだろう?
ユキの、あのバァッと花が開いた時のような顔を見るには、何をすれば良いのだろう?
僕はただただ苛々してモヤモヤするばかりだった。
音楽だけでなくファッションやジェンダーやそもそも人と言う生き物という壁さえも、Rockという音楽を生み出す力で飛び越えようとしたデヴィッド・ボウイのクールな外見から放たれた、熱い才能を誇示する名曲。言わずもがな万人の心に響くメロディーと詩的なリリックが美しすぎる。二曲目。


僕は文具屋のバイトを辞めることにした。最後の日、店のBGMにつながっている有線放送の洋楽チャンネルに”Life On Mars?”をリクエストした。
静かにピアノの音が奏でる緩やかで切ないメロディーに心臓を掴まれ壮大なコーラス部分を聴くと感動が湧き水のように噴き上がる。
何かの終わりと確かなものが何もない未知への不安を抱える時にはこの上ない美しい曲。
そのすぐ後、ユキも勤めていた文具メーカーの会社を辞めた。

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■ 三曲目

「前売りは去年だったんだよ。トレスポがロングランになっちゃったからなかなか公開日が決まらなかったんだ」
「昔レンタルビデオで見たけど、また観たいから一緒に行ってもいい?」
「だめ。なっちゃんと行くから」
なっちゃんとは辞めた事務用品メーカーの同期で同い年の女の子。
「…そっか、残念」
「私も、映画終わった後またムッちゃんにいろいろ聞きたかった。シドナンのこと」
「シドナン?」
トレスポとかシドナンとか、なんでも略して言いたがるところとかギャップを感じるんですけど、と心でつぶやくも、いつしかついつい僕の方も略した言葉を使うようになってしまう。一緒に過ごす時間が増えるということはそういうことのはずだ。
一緒にいる時間が増えれば、ユキのあの花が開くようにパッと色づき広がった顔をもっともっと見れると思った。
ただそれだけのためでよかった。衝動的で破滅的で利己的な行動だった。まさにPunkだ。パンクはRockをオールド・スクールにしたワケじゃない。Punkは考えのないアティテュードなのだ。
「トレスポを見た後に、"My Way"の話してたじゃん? あれ、シドのソロ曲のことでしょ?」
「へー、わかってたんだ。流石、これからシドナン観に行くんだもんね」
そう僕が感心して言うとユキはニコニコと嬉しそうな顔をしている。
「”My Way”ってさぁ、もともとはフランスの曲でボウイが英語でリリースしようとしたんだよ。だけどそれは却下されてポール・アンカが今の有名な歌詞をつけてフランク・シナトラが歌って大ヒットになるわけよ。ボウイはそれを皮肉って、”My Way”と全く同じコード進行の”Life On Mars?"を作ったんだよ」
ユキは僕の胸のちょうど下あたりに顔を埋めてきた。
周りに人はいない。ユキと一緒に暮らすため新百合ケ丘に借りた部屋の中。
そして、あの時話そうとしていたのはやっぱりシドが歌う”My Way”の話で、ボウイの話は今付け足したものだった。


シドが歌う”My Way”は、Punkそのものというか、シドそのものというか、とにかく何の装飾もなく丸裸全開で疾走する。そして、Punkのアティテュードがシドの"My Way"に乗っかって流れてる。歌っているシドの"My Way"はめちゃくちゃだ。どうやら歌詞を覚えてなくてアドリブで歌ってるらしい。もうあたり構わず蹴りちらかして、猫だってコロしてしまう。ただのPunkじゃない、無茶苦茶なPunkだ。破天荒でどう展開するかも危うくて、それでいて、それをシドが”My Way”と言うのならそうなんだろうという説得力すらある曲。不確かなものに根拠なき自信を持たせてくれるようなそんな曲。
最高の曲ではないけれど、思い出の深い三曲目。

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僕の三曲はほんの短い期間にぱっと輝きを放った瞬間、1997年、30歳になる寸前にそこにいた愛する人と聴いた曲。

Tanks to CINEMA RISE
トレインスポッティング 1996年11月30日〜1997年7月18日
奇跡の海 1997年4月12日〜1997年7月11日
シド アンド ナンシー 1997年7月12日〜1997年8月1日

#スキな3曲を熱く語る

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