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L.A.アンダー・ザ・ブリッジ

2023年2月、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの日本公演が開催されました。
単独の日本公演は16年振りになるとか、チケットもプレミアム化し、東京と大阪各公園大盛況だったようです。
そんなわけで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとTシャツについてお話ししているワケなんですが、今回は1990年代初期の頃のお話しです。

■橋の下で


1991年という年、いつもお話ししているロックにとって特異点のようなこの年に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズも傑作アルバム“Blood Sugar Sex Magic”をリリースします。このアルバムからレコード会社を移籍、EMIからワーナーに移っています。プロデューサーにリック・ルービンを迎え、後にオルタナティヴ・ロックの音を確立するブレンダン・オブライエンがミキシング・エンジニアを務めていることからも音の作りが一気に厚みを増しており、曲も洗練され、はちゃめちゃ感が無い、オーソドックスなロック・アルバムになっているように聴こえます。

“Give It Away”や“Power Of Equality ”といったライブでの定番になるバンドの代表曲が収録されていますし、なんといっても“Under The Bridge”というバンドにとって初めてといっても良いメロウなバラード曲が収録されています。この“Under The Bridge”はシングル・カットされてヒットしました。
日本でもラジオや有線放送で良くかかっており、やさしい、いい曲だなぁと思って聴いていました。まるでレッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲ではないような感じさえしました。
おそらく、この曲はそれまでレッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴いて来なかった人、ミクスチャー・ロックという言葉を知らなかった人、これからオルタナティヴ・ロックを聴くという人にも届いたことだと思います。

■“Under the Bridge”の心象風景


僕がよく行くロック・バーのマスターは年齢が僕よりちょうど10歳年上の70年代ロック黄金期をリアルタイムで経験している世代なの人なのですが、そのマスターにもこの曲は届いたようで、マスター著作のコラム集『ロックバー・読本 Part2』でもこの曲が取りあげられています。そこで先日、この曲についてさらに深掘る対談をPodcastの番組内でやってみました。その内容の詳細詳はリンクを貼っておきますので、是非聴いていただければと思います。

この曲、タイトルが“Under the Bridge”なので、誰もが風景として川があって、そこに架かる橋を浮かべると思います。
マスターはサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジが浮かんだと話していますが、僕は何故か、ターミネーターに出てくるコンクリートで舗装された橋というかトンネルみたいな景色が浮かびました。
多分、曲を聴いた時期とターミネーター2を観た時期が同じ頃であったのと、“Under the Bridge”という曲の由来がドラッグを売買していた場所ということを何かで知っていたからだと思います。あのターミネーター2の暗いトンネルのような橋の下はいかにもドラッグの売買に使われそうなイメージだったからだと思います。

■カルフォルニア・ロスアンジェルス


僕はYouTubeのチャンネルの中で度々ロサンジェルスの話しをしています。
以前、Season13、第77回でも触れて知ることですが、当時のロスアンジェルスは都会として活気のある光の部分のある街であったようです。ただ、その分、影の部分大きくなって行ったという背景もあるようです。
そんなロスアンジェルスの街の同じハイスクールに通っていたアンソニー、フリー、ジャック、ヒレルが結成したレッド・ホット・チリ・ペッパーズはまさにガキの頃からつるんでいた仲間がガレージに集まって遊ぶ延長にあるロック・バンドの典型です。
ロスアンジェルスの光輝く太陽、明るく活気のある街で10代、20代の悪ガキがつるんで、楽しく遊びながら出来上がった新しいロックがレッド・ホット・チリ・ペッパーズの初期3枚のアルバムのイメージです。
しかしながら、前回お話ししたように1988年にヒレル・スロバクがドラッグのオーバードーズにより亡くなってしまいます。一緒にバンドをやり、一緒にドラッグをやっていた親友を失ったメンバーのショックがいかばかりであったかは想像もできませんが、その喪失とロスアンジェルスの街に対する思いをボーカルのアンソニー・キーディスは詩にしたためていたということで、その詩をもとにつくられたのが“Under the Bridge”と言う曲なんだそうです。“Under the Bridge”なので橋の下という意味なのですが、この橋の下というのは実際にアンソニーが売人からドラッグを買っていた場所らしく、どうやら、マッカサ―・パークという公園の歩道橋の下で川は流れていないところなんだそうです。
この”under the bridge”を境にそれ以降、“Cariforinication”“Road Trippin’””By the Way””Dani Cariforinia”など、曲のタイトルや歌詞の中にカリフォルニア、ロスアンジェルスの影の部分がセンチメンタルに歌われることが多くなるような気がします。

■メルローズ・アベニューのアンソニー

そんな、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、そしてボーカルのアンソニーの転機となった“Under the Bridge”の頃(1991年~1992年)、僕が働いていたアパレルブランドのショップの店長が夏休みを取ってロサンジェルスに旅行に行ったその土産話のことです。

「ロスアンジェルスのメルローズ・アベニューで買い物をしていたら、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニーが上半身裸で通りを歩いててさぁ。背中にビッシーッとタトゥーが入っててカッコよかった」

その話を聞いて、まさに陽光きらめく熱いロスアンジェルスのストリートを長い髪をなびかせてさっそうと歩く、ただただカッコイイ、マッチョなアンソニー・キーディスを思い浮かべたのですが、日本の20歳そこそこの若造には、ロスアンジェルスの影もアンソニーが抱いていた喪失感やセンチメンタリズムみたいなものは全く想像もできませんでした。
そのアンソニーはネイティヴ・アメリカンの血を引いているらしく、両肩にもそのタトゥーが入っています。
背中の大きなタトゥーも北部のネイティヴのハイダ族由来だという説もありますが、アンソニー本人がインタビューで北西部太平洋地域のデザインだと言っているようです。

そのカッコよさから、Tシャツにそのままプリントされたものもあって、私の持っているのもその中の一つです。
前面にアンソニーの写真、バックにタトゥーの柄がプリントされています。

https://www.youtube.com/watch?v=llGy5El7VoI&t=931s


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