どうして欲しいのか

この4月に転職した。
そこで、ぶち当たった壁が「てんかんについての説明」だ。
元々、留学を考えた時から、私の一つの課題として「自分のてんかんをきちんと説明出来ること」は入って来ると感じてた。
今までも、下手くそながら頑張ってきたつもり。
だけど、今回説明してみて、周りの反応が自分が思ってたより「重く受け止める」感じと「配慮しすぎる」感じがして、戸惑った。
逆差別、的な。。
周りの人は本当に優しい。そして、現場ではないが医療者である。

もわっとした違和感を、2ヶ月くらいもちながら、探してた。
そして、ついに先週爆発して、夫に話したら、「それは、てんかんだから受けてる優しさじゃなくて、社会一般の優しさだと思う」と。
実際私は、そう勘違いする要素をたくさんもってる。
精神看護でも1番レッテル貼り(今回だと私はてんかんなんだ、というレッテルや、あの子はてんかんというレッテル)をするのは本人、2番目が家族、3番目が医療者といわれている。
私は幼少期からダウン症の兄と歩く時の周りの視線にさらされてきたし(つまり、幼少期から2番目の立場)、そういう目に敏感だと思う。
しかも、本人であり医療者だ。
めちゃくちゃ偏見の目にあふれた人間だと思う。
それは自覚してた。
でも、夫に言われて更に気づいたこと。31歳にもなって、医療の業界が優しくなさすぎて、「社会一般の優しさ」すら分かってなかったってこと。
夫に「それは社会一般の優しさです」と言われた時、え!?そうなの!?と、かなりびっくりしてしまった。
私が思ってるより、きっと社会は優しいってこと。

めちゃくちゃ話が逸れてるけど、夫に話す前から、うすうす、「自分は周りの人に説明して、そしてどうして欲しいのだろう」と思ってた。共感?理解?でも理解とは?てんかんに関する色んな出来事に対する自分のリアクション(感想)に矛盾も感じてた。
でも多分「緊急時のために一応知ってて欲しい」だけなんだと思った。別に緊急時上手く対処出来なくても、私は死なない。呼吸も勝手に開始するし、意識も勝手に戻る。でもやっぱり、間違って心臓マッサージされてしまった過去があるから。

締まりが悪いけど、今日はこの辺で。


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