6年間のあなたへ その1

はじめに

25歳から31歳へ。
その間の私に向けて、今の私からの届かない私書として。

とはいえ事細かに書く気はなくて、というのもあなたは私なので事実を書いたところであなたがよく知ったことばかりだからである。
酩酊の底の私の話は聞きたいかもしれないけれど、まとまりよく書くつもりもない。時系列を定義する気もない。
今の私が思っていることと、過去の私が思っていることは必ずしも一致しない。
過去の私が思っていたことを再現のしようもない。そういう意味で過去の私は、もはやあなたである。
このように文章を書くのは過去のあなたを墓標としてここに残して、私は先に行くためだ。波打つ心臓がややこしくて、そんなことが原因で飽いてやめたとてそれも良い。

発芽

あい昔から私に憧れの人はいなかった。せいぜいが祖父だ。ああはなりたいと思ったけれど、あこがれとは少し違った。
憧れとはつまり、自分の延長線上にいる自分の上位互換である。
一方で私は他人の中に巣食う、他人が理想とする私に依存する。私にとって、それがともすれば憧れということになるかもしれない。
それは少し歪で、まず憧れる対象は他人ではなく自分であり他人が勝手に作り出した自分の理想像である。
これを偶像として崇め、なんとかお近付きに、と願いを請うことが私の憧れだ。歪だと思う。

フロム・トーキョー

事実としてはトゥ・トーキョー、けれど物語としてはフロム・トーキョーが相応しいと思う。
たくさん変わったことがあった。でも人生はドラマみたいに、あるいはスイッチのオンオフのように劇的には変わらない。住む場所と戸籍と職場が変わってもそれは日常の延長として緩やかに変化する。
今日よりも明日、歳をとるのとちょうど同じくらいの感覚で今日と明日の生活は変わっていく。
いや、でも表現しづらいけれど、確かに環境は劇的に変わった。つまり自分の変化が環境の変化に追いついていないだけかもしれない。そしてこれは私だけかもしれない。
私は緩やかに成長し、苦しみ、喜び、そして緩やかに大人になって、老いていく。
振り返ってみればそんな感覚が宇宙みたいに常に私の中に常に存在するようになったのがこの頃だったかもしれない。

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