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東日本大地震から13年

東日本大地震が起きてからちょうど13年が経ちました。
あの大災害が残した影響は大きくいまだ癒えるものではないけれど、自分にとっても「現場」への尊敬と愛着を感じる原体験ともなった日でした。

世間がニュースとして取り上げる規模も少しずつ小さくなっているように感じますが、風化させていはいけないような原体験とその時の自分の意思を見つめ直す機会として、すでに非公開になっていたブログから3月11日の記事を引っ張り出して自分への戒めも込めて再掲しておこうと思いました。

まち・交通・現場に対して、何かしらの貢献ができるような人生でありたいものです。


2013年3月11日

2年が経って

3月11日です。大震災から2年が経ちました。
昨年も書いたことだけど、風化しないように今年も書きます。

2年前、3月10日は夜勤でした。夜勤を終えてから昼過ぎまで残業をして、昼ごはんを職場で食べてから退勤。帰り道に大震災が発生しました。
電車は止まり、乗客は駅から外に誘導される。
料理人が制服のまま外に飛び出し、公園で呆然と立ち尽くしている。
街中に溢れる人。被災地とは比べられないけど、それでも異常事態でした。

歩いて2時間半ほどかけて職場に戻ったとき、現場では復旧に向けて線路確認作業を終え、全員が次の指示を待っていた。
家族と電話も繋がらずに連絡が取れない。不安を感じながらも自分達の責務を全うして電車の復旧に注力する現場。職務を放棄する人は居なかった。これが日本の現場だ。こんなことができるのは日本人だけだ。そう思いました。

そんな日本の大事なものを失わないように、その一員として何かできることをしていきたいと思います。

一日も早い復旧を祈ります。


2012年3月11日

震災から一年

2012年3月11日。昨年の今日。東日本大震災が発生しました。

当時は私はとある都心の土木工事の現場職員でした。
夜勤の工事監督を終え、退勤する途中に震災が発生。
その後、2時間半ほどかけて職場に戻りましたが、職場では復旧のための確認作業を終え、全員で次の指示を待っていました。

このとき思いました。

日本人はすごい。

こんな状況なのに、家族も自宅や職場に居て、無事かわからない。
心配に違いないのに、全員が粛々と現場復旧を使命として職務をまっとうしてる。

こんなことができるのは日本人だけだ。そう思いました。

現地が完全に復旧するにはまだまだ時間がかかります。
人の負ったダメージは完全には回復しないと思います。

それでも、こんな心を持った人がたくさん居る日本は、立ち直った後、必ず幸せになるはずです。

そのために、自分もできることを、できる限りしていきたい。
そう誓って、黙祷をささげます。

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