3_3_「気」とは何ですか?

「教科書に書いていない勉強法」シリーズ-3
【「気」とは何ですか?】
 お題目が何やら胡散臭いものに見えると思います。これまでも、そしてこれからも化学の説明をしていこうと言うのに脈絡のないものが飛んできたのですから普通の方にとっては交通事故ものでしょう。しかし、これには幾つかの目的があります。最初にきっかけから説明していきましょう。


1.何故「気」の話をする気になったのか?
 私は「自然科学の学び方」で書いたように自然科学の英才教育(笑)を受けてきました。小学校低学年で九九より先に周期律表や原子の構造を知っているのですから本当にどうかしていると思います。カール・セーガンの「コスモス」を読む小学二年生なんて極僅かでしょう。(因みに九九は小学三年生になるまでできませんでした。)
 一方で、天文学を調べる内にギリシャやその他の神話にも興味を持つようになりました。得体の知れないとてつもなく大きな世界をどう見ていたのかということにも目を向けるようになりました。やがて水木しげる先生の描く妖怪の昔話を読むようになり、「昔に人は何を恐れたのか」「恐怖とは何か」と考えるようになりました。ここから古代の人々の価値観・世界観を調べるようになり、その内の1つが陰陽理論でした。
 この陰陽理論を調べている時期と同じくして、何故か父の診療所の待合室から中国武術の雑誌「武術(うーしゅう)」(確か第2号だったはず)が1冊だけあるのを見つけました。恐らく患者さんかスタッフさんが忘れたのでしょう。ここから中国武術にも興味を持つようになり、浪人中に近所の先生に教わるようになりました。そして、ここでも陰陽理論が登場しました。特に何かを狙ったわけではありませんが、2方向から陰陽理論を知ることになりました。
 それから20年以上経って、化学の仕事で体を壊し、失業中に職業訓練校である鍼灸の専門学校に通ったのですが、ここでこれまでの知識が大いに役立ちました。以前書いた通り、学問のルールが分かっていたからです。陰陽理論とは何か「気」は何のことを言っているのかを知っていたから全く苦労しませんでした。
 一方で、授業ではこの「気」の説明が全くと言って良い程なされず「当然あるものとして考えてください」と言われました。その時の教師は恐らくそこら辺も説明できるだろうと思われるのですが、勉強が苦手で時間制限のある人々に最初のルールから教えるのはかなり難しいでしょうからどうしようもないのかなと諦めていました。卒業後も鍼灸に関わる人たちから「気」の概念がどうやって登場したのかを聞くことがありませんでした。
 以上の経緯から私が見聞きしてきた「気」の説明をした方が良いのではなかろうかと思いました。目的は以下の3つです。
・自然科学とは異なる学問のルールとそこから理論を構築する方法の一例を示す。
・より具体的に「気」を説明する。
・異なる分野の学問との繋がりの必要性を示す。
注意事項:私が学んできた「気」は武術のそれを基本としています。しかし、武術家は学者ではありません。それなりに体系だった理論を構築していますし、言葉の定義付けもしていますが、全ての武術家の考え方を統合した何かがあるわけではありません。流派などによって幾分のずれは生じる可能性がありますのでその辺はご容赦願います。

2.陰陽理論の簡単な説明
 最初に前提となる陰陽理論の説明をしなければなりません。これは専門学校でもそれなりに説明がなされています。なにせあはき師(あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師)の国家試験にも問題が出てきますので。本稿はあはき師向けではないのでその辺は複雑にならない程度に流します。
 大昔の人々は自然の働きや社会の在り方を見ていく内に2つの要素が変化しながらバランスを取ることで作られていると考えるようになりました。例えば暑い季節と寒い季節が繰り返しやってきたり、働いたり休んだりと言った片方だけで成り立たず、両方ともなくてはならない物質や現象です。従って、善と悪のように一元的で片方さえあれば良い或いは片方へ進んでいこうとする世界観とは異なるものでした。このことがまとめられた書物が「易経」で、この”易”と言う文字は日と月が組み合わさって昼と夜を繰り返している様を表している(諸説あり)と言われています。この2つの要素を日(昼)と月(夜)のようにそれぞれの性質から陽と陰に分けて行くことになりますが、それらには以下の様な関係があると考えました。
・全ての物事は陰と陽の2つに分けられる。
・陰と陽はお互いに依存し、片方だけで存在することはできない。
・陰と陽はお互いに抑え合う。
・陰が増えれば陽が減り、陽が増えれば陰が減る。(量の変化)
・陰と陽の立場は逆転することがある。(質の変化)
・陰と陽は更に陰と陽に分けられる。
 一般的に形のあるものや表面から見えないものが陰、形のないものや表面から見えるものが陽として扱われますが、両方とも形がないことも形があることもあります。大事なのは2つの要素が上記の関係を保っていることです。
 ここまでが基本となる考え方です。これを下敷きにして中国武術で説明される「気」の話をしていきます。


2.中国武術の「気」
 ここで間違っても「波〇拳」だの「か〇はめ波」だの「オーラ(北〇の拳)」だのは思い浮かべないでください。あんなものは一切出てきません。そんなファンタジーは語りません。
 先程の陰陽理論に沿って考えていきましょう。ヒトを考える際、表面から見える肉体と見ることのできない精神の2つの側面があります。片方だけではヒトたり得ません。肉体だけなら死体です。精神だけなら幽霊か何か分かりませんが物理的な作用を起こすことなどできません。ですから両方あってこそヒトです。
 ここで表から見えない精神の働きを考えていきます。先ず、欲望や感情などのきっかけになるものが存在します。例えば、腹が減ったとか、眠いとか、危ないから逃げたいとか言った心の動きです。これを「心(しん)」と呼びます。”心”だけではまだ何もできません。腹が減ったならリンゴを掴もうとしたり、眠いなら布団を被ろうとしたり、逃げるなら何処に向かって走るかとかどのタイミングで踏み出すかと言った具体的な行動を意図しなければなりません。これを「意(い)」と呼びます。では、ここから肉体が動くのかと言うと違います。少し考えてください。ここまでは形のないものです。形のないものが形のある肉体に物理的な働きかけができるのでしょうか。現代では脳や神経の働きなどが筋肉に伝わる仕組みが分かっていますが、大昔はそんな科学的な知識はありません。ですからそこら辺は取っ払って考えなければなりません。大昔の人々は形のないものから形のあるものへ働きかける何らかの仕組みがあったと考えました。車で言えばエンジンで発生したエネルギーを車輪へ導くギアやシャフトの様なものです。これを「気(き)」と呼びました。即ち、”心”が動き、”意”が動き、”気”が動くことによって肉体が思った通りに動くと考えました。つまり、”気”はシステムと考えられていました。この「心・意・気」の繋がりを「内三合(ないさんごう)」と言います。武術ではこれを利用し、先に”心”や”意”を読んで後から遅れて動く”気”を押さえてしまえば良いとしました。
 ”内三合”があるなら”外三合 ”もあるのではないかと考えると思います。答えから言えばあります。しかし、「気」の話は全く出てこないので省略します。簡単に言えば、体の彼方此方の動きを協調させましょうということです。そして 内と外を全て上手く合わせて(これを六合と言う)上手く立ち回るのが良いと考えられています。
 さて、ここまでは「気」をシステムとして説明していますが、一方で「気」には量の概念もあります。世間一般ではエネルギーと翻訳されているのでそちらは馴染みがあると思います。武術にもその概念はあります。ここら辺は「元気がある」とか「気力十分」とか普段使われている言葉と同じように考えれば良いので省略します。
 つまり、「気」にはシステムとエネルギーの2つの側面があると言えます。しかし、専門学校ではエネルギーと翻訳して説明がなされます。この辺も残念ではありますが、勉強が嫌いな上に時間制限がある人々に教えるとなると混乱を招く危険性があるのでどうしようもないと思います。量子力学の光は粒子であり波であると言うのと同じですね。一寸勉強したくらいでは無理でしょう。
 とは言え、放置するのも良くないと思うので、この問題の私なりの解決策を1つ挙げておきます。異なる言語を勉強したことがある人であればなんとなく分かることです。
 例えば英語の「have」の意味として「持つ(所有する)」がありますが、一方で「have a lunch」とすると「食事する」つまり「食べる」の意味があることはご存じだと思います。もう一例出しておきます。「discrimination」と言う英単語があります。意味としては「区別」「差別」です。英語ではこの2つは分けていません。従って、それが正当か不当かを頭に付けることで分けます。これらの例から分かると思いますが、日本語と英語は単語同士では対応していません。ある1つの英単語は日本語の複数の単語にまたがる範囲の意味を持ちながらその全部を含んでいるわけではないと言うことです。(以下に図を示します。)


図.2 ある英単語と対応する日本語

 元々「気」は古代中国語なので日本に輸入した際に概念ごと完全コピーができていたとは考え難いので、当時の日常生活で使っていた日本語の1つの単語と一致するとは限りません。そこから更に明治の文明開化や敗戦からの復興など価値観が何度も変わっているので同じ単語を同じ感覚で使っているとは限りません。無理やり現代の単語1つを当てはめる単純な翻訳を止めて複数の単語を含むのだと理解する必要があると思います。例えるなら「2000年前後の機械翻訳を止めて〇eepLを使え」と言った感じでしょうか。


3.1つの分野だけで終わらない
 ここまで中国武術で教えられる「気」の説明をしてきましたが、ここからは別の分野との関係や共通点を書いていきます。
 先程の「陰と陽は更に陰と陽に分けられる」と言うのはマクロな視点(巨視)とミクロな視点(微視)を同じ法則で取り扱うと言う意味でもあります。ヒトで言うなら集まったら群(社会)が出来上がります。武術がヒト同士の接触で起こる問題の解決法を扱うものなら、兵法は群同士の接触で起こる諸問題の解決法を扱うものです。一方でヒトを更に細かく分けた中(臓腑)の問題であれば医学(日本で言えば漢方や古典的な鍼灸按摩)が出番です。これらは全て、変化を先んじて捉えそれに備えることを良しとしています。また更に遡って常に万全に保っておけば敵(病)が付け入る隙はないとしています。(「孫子」「黄帝内経」より)陰陽の変化を知るのは全てそのためです。
 ここでは武術、兵法、医学を扱いましたが、易経には治水や天文学、農学などについても言及されています。私は全てを理解しているわけではありませんが、他の分野も同じ陰陽理論、つまり同じルールで説明がされています。従って、複数の分野を学ぶことで更にルールを深く知ることができます。具体的に言えば、問題が異なる場合にルールをどのように使っていけばよいかを学ぶのです。
 私は陰陽理論をよく知るためには専門以外の複数の分野を少しだけでもよいから学ぶべきだと思います。

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