わたしの人生グラフを書こう!

きっかけ

 私が1年前から聞いていて大好きなポットキャスト「となりの雑談」でトークイベントが開催されることになった。自分1人で考えることが苦手な私にとって、このポットキャストは支えで、ボルダリングの石を貰える感覚(?)。1人ではたどり着けないところへ連れて行ってもらえる感覚。
 このトークイベントに参加して、また色んなことに気づきたい、楽になりたい、楽しくなりたいと思い、申し込んだ。ワーク自体が初めてなこともあり、ワクワクもあった。

 申し込んだ後、詳細を見てみるとイベントにはワークシートが用意されており、「ワークシートは、イベント前までに記入し、トークイベントに参加してください」との案内が。さっそくやってみるか、と思い開いてみると、私の苦手分野「自分自身を長期的に振り返る」が必要な人生グラフを書くところから始まっている。

 なにも浮かばない。なにも思い出せない。比較できない。

 苦しい。このままだと溺れてしまう!となり、noteを書き整理しながら頑張ることにした。こんな機会がないと出来ない。難しい過ぎる。なんせ、わざわざ思い出す過程が必要だから。ふいにふりかかる過去のトラウマ以外で、昔をなぞることをあまりしたことがない。(みんなそうなの?じゃあなんで簡単そうに過去を思い出せるの?という気持ち)


1番のプラス地点は?

 元カレと付き合い始める直前と付き合って3か月~10か月の時期(20-21歳)

 元カレと付き合い始めるまで、地元の友達とゲーム友達の4人でゲームを毎晩1時あたりまで(盛り上がれば2時、3時)する時期があった。その時期は、居場所がここで、無敵だった気がする。中でも年上の人と、皆で集まる前と後二人で話す時間が好きで、楽しかったことも辛かったことも全て話していた。今でもLINEしているし、明後日電話する予定でもある。
 何をしていても肯定してもらえそうな感じ(実際はそんなことないから、肯定してもらえそうな面しか見せないけど、母親よりかは多くの面を見せれている気がする)が好きで、安心感が得られる場。もちろん年上へのときめきはないし、変な憧れもなく、一個人として仲良くしていた。

 付き合って3~10か月の間がピークで楽しかった気がする。相手を性的な目で見ることも、信頼している人として見ることも出来て、お互いが満たされていたように思える。文字通り夢中になっていて、共依存的だったかもしれない。毎日会っていた月だってあったし、私のほぼすべてを知っている人だと思う。(あと、そのあたりの時期は大学の友達とも上手くいっていて、たくさん飲み会してたし、一緒に勉強したりもあった。幸せだったな。)

脱線① 
 こう見ると、ゲーム友達と元カレの存在は大きい。
 次話す時に感謝を伝えよう。

 どっちの方がプラス度が高いのかを考えていたけど、全てが上手くいっていると言える時期が無いからこそ、比較できないと思っているのかもという気づきがあった。どっちなのか選べない。


1番のマイナス地点は?

 部分的に辛かった出来事はあったけど、慢性的に辛かったのは最近と大学1年生かな。(小学~高校の記憶が曖昧だから、後々掘る)

 最近は、夏頃~1月あたりがしんどかった気がする。
・ある人にさよなら宣言をされた
・働くことへの不安
・卒論と教習所、引っ越し、働き先なしの不安/疲れ
・元カレとの距離を掴めず、頼りすぎる
・ゼミの不仲(→バイトに集中する良いきっかけに…)
 1月終盤あたりから、関わる人が増えて凄く安定した気がする。
 全部バイト先の人だけど、それでも凄くありがたかったな、と。

 浅くてもいいから、最初浅いことは当たり前だから
 人との繋がりを守っていきたい。 
  と辛かった時期から回復した理由を見つけて思った。これはでかい。

 大学1年生の時は、コロナで友達がいない中、週に1回の母との電話で1年間生きたといっても過言じゃない。夏休みは、寝て起きてスマホ(ヒカルとインスタ、Twitter)を見てたし。何もない空白の1年で、現22歳だけど、実質21歳だと思う。
 頼れる人、頼りたい人がいなくて、人と関わらないから楽しいことも苦しいこともない。苦しいことがないという点では幸せだったけど、学びも喜楽も無かった。
 宇宙に行きたい、土星のゴミになりたい、地球が爆発すればいいのに、と考え、陰謀論にも手を付けてしまう夏だった。苦しかったね、
 夏休みになるまで、スーパーしか行かなかったんだもん。真面目で、不安心が大きいから。当時は苦しい自覚無かったけど、今考えればだいぶしんどい。

高校生時代

(1番のプラスもマイナスも大学生時代だったため、小中高ごとに取り上げてみる。)

高1は友達2人と平和に、時に私が暴走して
高2はクラス替えにより友達がクラスに2人と写真部で2人でき
高3は引き続き仲良くしたり、急に縁が切れたりした。

中学生の時よりも安定して楽しかったような記憶。
勉強も部活も家庭でも、それなりに苦しいことはあったけど、それでも一緒にいて安心できる人がいたし、私の心をぐらつかせる人はいなかった。
精神の安定が人生グラフの安定を支えているのかも。


脱線②
 私は人生グラフを考える上で、友人関係など、社会との繋がりの有無を重心に考えていることに気づく。落ち込むにしても、きっと自分自身の問題が外に出て、しっかりと見える形で失敗したときなんだろうな。

脱線③
 「節度を守ってよい距離感」が難しい。
頼れるなら、すぐにでも!と急ぐ癖は、今も凄くある。(バイトの友人など)
だから、頼りすぎたり、私が自己中心的になりすぎて、気付いたら友達がいなくなっちゃうパターンなのかも、と振り返る。苦しい。まずは1人で立つところから、と思っていたが、「逃げ道として人間関係を作ってる」と以前バイト先の友達に教えてもらったから、自律する練習と人間関係に助けてもらう練習の両方で行くことにする。


中学生時代

 中1から中3まで、部活で精神ぐらぐらだった。
 ダブルスの相方Tの調子に合わせて、良い日も悪い日もあった。最高~最低の幅が広かった。あと、小学校高学年のときから付き合い始める部活兼友人のAも不安定型&反抗期中で、私もそれをもらい家族内であまり話さなくなったり、パソコン、スマイルゼミのタブレットにのめりこんだりした記憶。知らない人とチャットしたりと危ないっぽいこともしたな。 (占ツクに馬鹿ハマってたな…)
 「考えすぎない人になる」って色紙に書いたのもきっと中学生の頃。同じことでグルグル悩んでいたような、気がするのよね。変わらない。

脱線④
 その時1番仲いい人に染まるタイプで、共依存近くなってもなれなくても、いずれか終わりが来る。長く仲いいのは2人だけ。少ないと思ってしまうけど、いてくれるだけでありがたいし、いなくならないでほしい。


小学生時代

小3ー4が一番明るくて、ダンスクラブで夏祭りに真夏のsounds goodを踊っていた。小5から、小2に友達が出来たり、Aと友達になったりする。小2と遊んでいる時以外はあまりうまくいっていなかった気がする。それでも好きな人はいたし、中1になって付き合うことになる。数日だけ。

それなりに楽しかったけど、色紙に「明日は明日の風がふく」と書いたのはきっと小学生時代。自分のした過ちを家に持ち帰って反省していた記憶。(謝ることは出来たらしてたって感じ。謝ることで、怒りが再燃し、また怒られるのではないかという恐怖の方が強かった。触らぬ神に祟りなしタイプだが、めっちゃ祟りある)

小5~から鎖国時代の幕開けと言った感じかな…。


書けた!!

無事かけた!ゆっくりやりすぎて何時間かかったのかな?といった感じだけど嬉しい。

学びとしては、人生のグラフというか「周囲にいた人と上手くいっているかグラフ」だった。それだけ、他者との交わりによる影響が大きいということなんだね。自分自身の問題で落ち込むことはほぼなくて、他者との間に問題が生じがちだということがわかった!

これからは、大切に関係を続けていきたい人とどうやって仲を継続させるかなのだな…。む~難しい問題じゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?