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心がいっぱいいっぱいで独り相撲

最近、ずっと辛かった。
友人関係から始まり、誰を信じて、誰と生きていけばいいのか
私はこれからどうなるのか、どうしたいのか、という欲が無く
あるのは「猫になりたい」「犬になりたい」「雲になりたい」といった現実から離れたものばかり。
つまりは、何にもなりたくなく、何になっても辛いんだろうなぁ。
という鬼の逃げ腰で、何をどうしたいのか分からなかった。

馬鹿程人生相談のラジオを聴き、SNSを見て、人ばっかり見て
自分の辛さに照準を合わせなかったのがここ数カ月。
溜まり溜まって蓄積された泥(マイナス思考)が心から溢れて大爆発。

思っていること、いっぱいあるのに、一つ一つ取り上げることや自分自身と向き合うことが恐ろしく辛くて、その一歩が出なかった。
「その体力をつけるための期間だったと思えば、プラスだなぁ」なんて、書きながら思う。

向き合うことが辛い。
→TiktokなどのSNSに浸る
→さらに向き合えなくなる のスパイラルから抜け出すために
まずは書くことから始めようと思う。
(書くことはセラピーとはよく言ったものだ)


最近の思っていること。
どうやっても何かを得るためには何かを捨てなければならないことが辛い。
気付かない内に捨ててしまったものも多かろうに
その事実を21歳になっても飲み込めないでいる。 非常にわがまま。

具体例。元カレとご飯に最近誘ってくれた男性で揺れる私。
どっちとも確信に迫る言葉はくれてないのに、勝手に一人で悶々としている。 (一人相撲であることは知ってる!!という強がり)
でも「悶々として終わり」なのがいけないところで、その真相?決着?をつけずに、結局流れに身を任せている。

結論を出すことが苦手なのだと思う。
優柔不断。だから「嫌だ!!!!」と言いつつ、「だからどうする?」の部分を決めかねている
優柔不断というかは、どんな選択肢があるのか、選んでもいいのかという点で不安になっている気がする。

人生の決定権を持っているのは私で
主導権もすべて持っているはずなのに、色々な目が気になってたまらない。
怒られたくない、評価されることが怖い。自分は評価する癖に、傲慢。

評価されなくても、大丈夫という心になれない。
私は「嫌われる勇気」を読んだ方がいいかもしれない。

なんでこんなにも他者からの評価に怯えているのか。
自己承認していきたい。自己効力感も、「実際自分を承認できるか」&「それだけの努力をしているか」だけなのかもしれない。

自分の選択に自信が無かったのは昔からだよなと思う。

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