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優しさについて

自分の振る舞いが誰かに与える影響について想いを巡らせる。取り分け優しさの本質について考えた時、それを構成する成分にエゴが含まれていることに気づく。また一方で、相手に影響を与える、与えてしまった、というのも傲慢である気がする。はたして自分なんかが誰かに与える影響なぞあるのだろうか。過ぎるファーストクエスチョン。人は自分では無い他者に対して時に驚くほど無関心だったりする。それは意図的であり無意識のうちに。だから例えばエゴの含まれる優しさをそれでも誰かに差し出したくなったら、ここを拠り所にしたらどうだろうか。

結局のところ、アウトプットされた優しさはもはや自分のものでは無い。それによって相手がどういう感情を抱くかまではコントロールできない。しかし、その優しさが相手にどう作用するのか、そんなことを差し出す前後であれこれ考えてしまうことこそが、それ自体が優しさなのではないだろうか。人を憂うと書いて優しいと読むんやで、だから。

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