恥を知る。90.『東京の朝』

先日、東京へ行った。

本当に久しぶりだった。何年ぶりか、パッと思い出せないほど久しぶりだった。本当に本当に久しぶりに、私は東京で歌を歌った。

行く、と決めてから毎日スケジュール帳をながめ、当たり前に1日ずつその日が迫ってくることを確認してはそわそわしていた。理由はひとつではなかった。プラスもマイナスもいろんな理由がいっしょくたになって毎日毎日少しずつ重たくなるような感じだった。それでも私は行く、と決めた。いま行かないと、もうずっと、行けない気がしていた。

4年も5年も前であれば、東京に住む友人たちに連絡を取り、ライブに誘っただろう。移動はもちろん高速バスを使って、これまた友人の家に泊めてもらったりなんかして、いかにも地方のバンドマンって感じの東京を満喫したに違いない。しかし今のご時世、なかなかそうはいかない。し、なんか、めっちゃ久しぶりだしたぶんまた当分来れないし、いっちょ贅沢するかーーーーーー!という気持ちになっていた。

私はすぐさま、往復新幹線とホテルと朝食と24時間地下鉄乗り放題のチケットがセットになった旅行プランを予約した。こんなことは初めてだったのでなんだかすこし悪いことをしているような気分にさえなったが、久しぶりだし、とか、感染対策のためにも、とか何かと理由をつけて自分を納得させた。よく考えてみれば自分でお金を払っているのだから何も悪いことはないのだが…。

そしていよいよ当日、私は期待と不安とを本当に同じくらい抱えて新幹線に乗り込んだ。いろいろなことを考えていたら東京までなんて本当にあっという間だった。乗り換えが思ったよりうまくいったので先にホテルのチェックインをして、最寄りの駅で地下鉄のチケットをもらって、ライブハウスに着く頃には私はあまりの感動に泣きそうだった。

私…東京の人みたい…。

自らの成長に泣きそうだった。あの魔界のような東京駅から脱出し、迷路のような地下鉄をも攻略して、入り時間に遅れることなくライブハウスにたどり着くなんて。完全に『はじめてのおつかい』モードだった私は、ゴール地点で待っている母親に泣きじゃくりながら抱きつきたい気持ちであったが、ゴール地点には母親はいないし、ついたらリハーサルをせねばならぬし、私はもう28歳だった。

ライブはどのバンドも本当に素晴らしかった。全国各地から集まったバンドがライブをすることでうまれるパワーを久しぶりに体にもろに受けて、いろんな記憶がよみがえった。熱くなったし苦しくなったし嬉しかった。みんなが会いたかった、と言ってくれたのが嬉しかった。やっぱり来てよかった、と心から思った。歌っててよかった、と心から思った。

それぞれとの思い出や、お互いのこれまでのこと、これからのこと、はじめましての挨拶をすこしずつして、私はホテルへと帰った。嘘みたいだなあ、と思いながら慣れない電車に揺られ、よく知らない駅で降りた。ホテルに着くと私はすぐにアラームをセットした。明日は朝ドラを見て、ホテル1階のレストランの朝食バイキングに行かねばならない。あぁ、なんで完璧なんだ。今回は本当にいい旅だった。私は本当に満たされた心で眠りについた…。

もしかしたら満たされすぎたのかもしれない。いや、単純に疲れていたのか。結論から申し上げよう。私は寝坊した。生まれてこのかた、寝坊なんて片手で数えられるほどしかしたことのない私が、寝坊した。

朝食バイキングの入店終了時刻は9:30。私が目覚めたのはなんと、9:20であった。諦めきれなかった。せっかく東京まで来たのだ。諦めてはならなかった。私は脱ぎ散らかしていた服を着て一目散にレストランへと向かった。

今、冷静に考えてみれば本当に迷惑な客だ。オーダー制ならまだしも、バイキングの終了10分前に入店するなんて…。それでもスタッフのお姉さんは優しい笑顔で迎えてくれた。案の定、料理はほぼなくなっていたが、シェフも気を利かせて私のためだけに卵2こぶんくらいのオムレツと1人分のベーコンとソーセージを焼いてくれた。その優しさと自分の情けなさで泣きそうだった。

悔しい…。悔しい…!!
もっと焼き鮭とか!ピザとか!あったのに!
あああああ!悔しい…!!!!!

私はこうして、また東京に来なければならない理由をひとつ追加したのであった。

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