恥を知る。82.『祖母のこと』

祖母が亡くなって1週間が経った。

年明け早々こんな話をしてしまって申し訳ないけれど、どうしても、今、記しておきたいので、みなさんもどうか読みたいタイミングで読んでいただければと思う。

祖母とは物心ついたときから同じ家で暮らしていた。何か特別な思い出があるか?と、問われると逆に難しい。なんてことない日常の会話や、怒ったり笑ったりしたこと、オムライスを作ってくれたこと(祖母が作るオムライスには具が入っていない)、思い出すことはたくさんあるけれどなんだか特別とは違う。祖母は私にとって限りなく日常の中の人だった。

もう何年前からか正直覚えていないけれど、祖母は立てなくなり、自分でご飯が食べられなくなった。それでもいわゆる『ボケる』という感じはなく、よそでは愛想をふりまき、家ではしっかりわがままや文句を言って私たちを困らせた。祖母はいつのまにか99歳になっていた。

なんとなく、100歳まで生きるんだろうと思っていたし、そのあともずっとずっとこんな感じの日々が続くんだろうと思っていた。

だけども祖母は去年の末からご飯が食べられなくなってしまった。年は越せないかもしれないね、と幾度となくうわ言のように家族と話し、私はその時がくるまで実家で祖母と一緒に過ごそうと決めた。毎日家族みんなで同じ部屋で寝て、ことあるごとに祖母の頬を撫で、手を握った。

ご飯は食べられないままだったけれど、祖母はなんだか少しずつ元気になっているようなそんな様子だった。数ヶ月前のように母(祖母の娘)を呼びつけたり、文句を言ったり、愛想を振りまいたりするようになった。安心しきった私は自分の家へ帰り、祖母が息を引き取るその瞬間も、ライブハウスにいた。その時は突然やってきた。

私はずっと、母のことが心配だった。いなくなってしまう人を悼む気持ちや寂しさはもちろんあるが、それと同じくらいこれから生きていかねばならぬ人たちへの想いも強かった。

結論から言うと、母は私が思っているよりうんと強かった。こちらが恥ずかしくなるほどだった。

言葉の通り、眠るように息を引き取った祖母は、私が駆け付けてからずっと、本当に眠っているようだった。湯灌師さんが祖母の体や顔や頭を、優しく優しくお話ししながら洗ってくださっているあいだも、なんだかおかしな気持ちだった。だって本当に眠っているみたいだったから。お肌も髪も綺麗ですねー、と褒められている祖母は嬉しそうだったし、母も嬉しそうだった。私も嬉しかった。

その間も母はときおり涙を流していた。感情とは関係なくとにかく流れてくるんだ、と言っていた。その涙がパッタリと止まったのは、祖母のお化粧が終わった時だった。

その昔入れ歯が入っていた部分には綿が詰められ(入れ歯が『昔』なら健全な歯の時代はなんと表現しよう)、綺麗にお化粧が施された祖母の顔を見た瞬間、あまりの美しさに2人して笑ってしまった。とてもじゃないけれど99歳には見えなかった。本当に、本当に美しかった。 

母は『婆ちゃんじゃないみたーい!』と笑ってそこからあまり泣かなくなった。私は昔の強い祖母を、今まですっかり忘れていた祖母を思い出して、とても心強くなった。

家族葬の会場はまるで旅館のようで、食べたり寝たりすることにおいてとても快適なしくみになっていた。父は家に帰り愛犬と過ごし、私と母はそこに残り、ドレミファドン!を見ながら歌ったりなんかした。ここでこんなに歌う人は後にも先にもいないだろうと思って私はまたこっそり笑った。その夜、母はここ数年でいちばんぐっすり眠った。

強くて綺麗な祖母よ、母の体にも私の体にも紛れもなくあなたの血が流れ、あなたの強さを受け継いでいます。私はあなたのように綺麗な顔で眠れる自信はないけれど、あなたのように強くいたい。生きることに執着したい。生まれてはじめて心からそう思うし、心から感謝しています。恥ずかしくても無様でも、生きることを諦めないしどこまでも貪欲でいたい。家族を守りたいし、私も守られたい。愛されたい。どこまでも正直に生きたい。

ありがとう、おばあちゃん。
憎たらしいほど可愛くて美しくて強い、私だけのおばあちゃん。

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