恥を知る。97.『歯医者さん2』

私は歯医者が好きだ。
と、いうお話を以前にしたことがあったと思う(恥を知る。19.『歯医者さん』参照)。理由は以前述べたので割愛させていただくが、あの日から紆余曲折あり、私は歯列矯正を始めた。経験したことのある方はご存知かと思うが、歯列矯正を始めると3週間に1度は必ず通院しなければならない。

矯正を始めてはや1年がたとうとしているので、矯正を始める前の私からしてみればもう一生分くらい歯医者に通ったことになるのだが、それでもなお、私の歯医者愛は冷めていない。むしろ毎度その愛は強くなっている。なぜなのか、私が歯医者に行くと、おもろいことが起こるのだ。

それらはわざわざ電話やメールで知人に報告するほどでもないのだが、どうしても、どうしても誰かに聞いてほしいようなちょっとした事件である。あぁ、私にはこの場所があって本当によかった。これからいくつか、そのちょっとした事件についてお話ししようと思う。

まずはつい先日のことだ。

いつも通り診察が終わり、いつも通り先生が『椅子を起こしますね〜』と言って何かスイッチを押してからカルテを書き始めた。私もいつも通り『はい〜』と待っていたが待てども待てども何も起こらない。椅子が微動だにしないのだ。やっとカルテから顔を上げた先生は椅子に寝転んだまま困惑している私に気づき、慌てた様子でまたスイッチを押した。ウィーン、と音はするのだがやはり椅子は動かない。気まずい。そのうち人が集まってきて『こっちも押してみましょうか…』『いや、だめだなあ』『どうしたんですかねえ』といろいろ試し始めた。私はじっと、天井を見つめていた。そうしてひとしきり試したあとで先生が申し訳なさそうに言った。

『向田さん、、すみません、、、。自力で、、、』

私は食い気味に『はい!大丈夫です!』と集まったみなさんに見守られながらスクッと起き上がった。最初からすぐにこうすればよかった…と、ちょっぴり高くなった椅子からぴょこんと飛び降りながら自らの選択を恥じたのだった。

しかしまあ、これはまだ恥ずかしいだけですんだのでマシだ。あれは今よりもう少し暖かかったある日のことである。

私はいつものように診察台に寝転がって天井を見ていた。すると蛍光灯の周りを虫がブンブンと飛んでいた。なんとはなしにその虫を目で追っていたがすぐに私は異変に気づいた。虫がどんどん増えていくのだ。冗談みたいだが本当である。冗談みたいに虫が増えていくが、お掃除をしてくれている歯科助手のお姉さんは私の口内に夢中で虫に気づいていないようだった。虫が7匹に到達したころ、多少の恐怖とその異様な光景のおもしろさとでフッと笑いそうになり、ついに私は器具が口から出た瞬間を見計らって申告した。

『む、虫が…』

『へっ!?』とお姉さんは天井を見上げ、軽く悲鳴を上げて『蜂です!向田さん!待合室に逃げてください!』と急いで椅子を起こした(この日に椅子が壊れていなくて本当によかった)。私は、診察室から聞こえる殺虫スプレーの音や軽い悲鳴を聞きながら、待合室で1人『歯医者、おもろくて好きだなあ…』と思っていた。

歯列矯正はまだあと1年ほど続く。いったいどんな事件が起こるのか、私は楽しみでしかたがない。

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