恥を知る。89.『高速バス』

バンドで活動していた頃は、どこに行くのも移動手段は車だった。大阪に行く時も東京に行く時も仙台に行く時も車だった。

理由はもちろん、交通費が安く抑えられるからである。

今になって冷静に考えてみれば、もしかしたらもっと効率的で安全で経済的な移動の仕方があったのかもしれない。それでもやはり、あの大荷物を手で持ち運ぶのは不可能だったし、時間の調節も公共交通機関では難しかったと思う。それになにより、メンバーと共に過ごしたあの車内での時間は何にも変え難い。

しかし今、私は1人で活動している。さすがにどこへ行くにも車で、というわけにはいかない。こんな時によく利用するのが高速バスである。

あの窮屈な車内でじっと座っている、もしくは長時間運転することに慣れてしまっている私にとって、高速バスで苦痛を感じることはほぼゼロである。だって座っているだけで目的地に着くのだ。運が良ければ隣の席は空いていることだってある。タイミングがよければ一番後ろの席を指定して座席も倒し放題だ。そして安い。今でこそ少し感染対策が心配な面もあるかもしれないが、そんなことを気にしなくてもよい時代は、高速バスは私にとって心強い相棒であった。

しかし、なんといっても利用回数が異常だ。さすがに毎回ノンストレスだったとは言い難い。

ある日は隣の人の体臭が鼻に合わず、6時間近く口呼吸を余儀なくされたし、ある日は隣の人の寝相が悪く、挙げては振りおろされる腕に怯えながら過ごさねばならなかった。また、ある日は隣の人のコミュニケーション能力が異常に高く、夜行バスだったにも関わらずとても楽しそうに話しかけられ続けたこともあった。挙げ句の果てには休憩のためにとまったサービスエリアのお土産コーナーに連れて行かれ、そこで買った生八つ橋をその場で2人で食べるという謎イベントまで行われた。あれは今思い出しても相当きつい。

しかしこの度、これらを上回る事件が起こってしまった。

ライブ終わりだった。私はとてもよく眠っていた。そして、夢を見ていた。あろうことか、それはひどい悪夢だった。

家族全員で車に乗っていた。そこには亡くなった祖父や祖母もいて、みんなで話をしていたが様子がおかしかった。祖母がいやにしっかりしているのだ。そしてとても他人行儀なのだ。なんとなく嫌な予感が沸々と湧き上がってきて頂点に達するタイミングで父が叫んだ。

『おばあちゃんに何かが乗り移っている!』

そこからすごい勢いで祖母が私にまたがり、体を押さえつけた。私は負けじと体を動かし、そして、叫んだ。

『ばあちゃんの体から出て行けぇ!』

その自分の声で目が覚めた。もちろん、満席の深夜の高速バスの中だった。

地獄だ。

正確にはおそらく、言葉にならない声を出したような感じだったのが唯一の救いだが、いずれにせよ鬼気迫る空気を醸し出していたに違いない。

これまで隣に座った人からのあらゆる種類のストレスに耐えてきたが、今回ばかりは心が折れかけた。しかし途中下車するわけにもいかず、そこから私は一睡もできないままボウッと宙を仰ぎ、ただただ目的地への到着を待つこととなったのだった。

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