恥を知る。81.『ライブハウスはじめ』

年が明けた。この時期、なんでもかんでも◯◯はじめ、や初◯◯など、とにかくはじめたくなってしまう。うまくいけば『幸先がいいわ!』と手を叩いて喜ぶし、うまくいかずとも『これ以上悪くなることはないわ!』と自らを鼓舞する。

そんな都合が良くてわかりやすい私の今年のライブハウスはじめは、演者でも観客でもなく、審査員として、だった。

五日市のMatch Boxにて、『裏総文』と名付けられたそのイベントは『広島県高等学校総合文化祭』略して『総文祭』の軽音楽部門で優勝できなかったバンドたちを集めたイベントだった。このイベントの優勝者には、デモ音源のレコーディング権があたえられることになっていた。

私はそもそも『総文祭』を知らない。私が高校生の頃には『総文祭』に軽音楽部門はなく、県の軽音楽連盟が開催する大会や施設や楽器店が開催する大会にエントリーしていた。審査員のお話をいただいた時、比較的若い層として意見を求められていることは分かったが、ここまで分かりやすくジェネレーションギャップがあって大丈夫だろうか…と少し不安もあった。

しかし、みなさんの演奏が始まってみればそんなことは関係なかった。まるで当時の私たちを見ているようで、なんだか気恥ずかしかった。輝いていた。眩しかった。しかしステージを降りて私の目の前を通るその姿はあどけなく、間違いなく高校生で、それがまた美しくて泣いてしまいそうだった。

そんな中ひとりの男の子が声をかけてくれた。私はその男の子の顔に見覚えがなく、少し焦ってしまったけれどすぐに『ムカイダーさんと中学校が同じなんです。』と教えてくれた。『中1のときに…』と彼は続けたので、咄嗟に私が中3でギリギリ代がかぶっていたのかしら、と思ったがそんなはずはなかった(みなさんの演奏を見ていたせいでかなり若返った気になっていた。恥ずかしい。)

彼は続けた。
『中1の時に、ムカイダーさんが学校に歌いにきてくださって…』
そうだ。私は母校、広島市立城山中学校の創立30周年の記念式典で歌わせていただいたのだった。あれは2016年のことである。当時の校長先生が本当に素晴らしい方で、『ペロペロしてやりたいわズ。』という奇天烈なバンド名で活動していたにも関わらず、快く招いてくださった。

別にタイアップ曲があるわけでもない、語れるような経歴があるわけでもない私たちであったが、当時の生徒の皆さんは一生懸命に演奏を聴いてくれた。そして一部のお調子者の男の子たちが、やれ名札だの生徒手帳だのを持って演奏終わりの我々に駆け寄りサインを求めてくれた。彼はその中の1人だった。

『まだあの時のサインを部屋に飾ってて…』と照れながら話してくれる姿に思わず『お、おいくつになられたんですか…?』と私も奇妙な問いかけをしてしまった。『高3になりました!』という答えに、当たり前に時が流れていることを思い知らされながら『僕も音楽を始めまして…』という、これまたここで出会っているんだから当たり前のエピソードに目頭が熱くなった。

最後のバンドまで演奏が終わり、気づいたら審査シートにはみっちりと文字が並んでいた。ジェネレーションギャップなどと心配していたことが恥ずかしくなるくらいだった。

正直、この時代にわざわざバンドを始めるということは、我々が高校時代にバンドを始めたこととは全然違うと思う。求めるものも感覚ももしかしたら全く別方向かもしれない。それでも『裏総文』のあの、ときおり見え隠れした熱さや悔しさや眩しさは、当時の我々が感じていたものと同じであった。とても、とても、嬉しかった。そしてなにより、あの場所にいられたことが本当に嬉しかった。

関係者のみなさま、出演バンドのみなさま、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました!
高校生のみなさん、これからもどうかどうかその眩しい姿を見せてください。そして心を燃やし続けてください。また会える日を楽しみにしています。

あけましておめでとう!

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