2023.11.28

とてもじゃないけど言葉では説明できないような日々が続いている。

どうしたもんかな。
自分の意志とは別の次元で何かに導かれる感覚。
とにかくタイミングに恵まれ続けている。なぜかいつも『今だ!』という時に全ての準備が整っている。

とは言え、私はスーパーマンでもセーラームーンでもない。どうやったって心も体も頭も私のものでしかなくて、急に自分のポテンシャルを超えるパフォーマンスができるわけではない。
どちらかというと、自分自身も忘れかけていたその強さや多様性を無理やり引き出されている感覚に近い。その引力について行くために心も体も頭もその都度いったん極限状態に陥る。意地になって這い上がりながら筋肉痛みたいなその痛みを慈しんでいるあいだに心も体も頭もひとまわり大きくなっている。そんな感じの日々だ。


今、私は飛行機に乗っている。
エジプト、カイロからドバイへ、ドバイから大阪へ向かう飛行機に乗っている。

1週間ちょっと前は金沢にいた。
金沢で踊っていた。

まったく、どうしたもんかな。

年末年始のライブのセットリストを考えながら久しく出会わなかった興奮に包まれていることに気づく。

何かが解決したわけでも、安定したわけでも、解ったわけでもない。むしろ複雑化していて、いや、複雑という言葉は少し違うな。選択肢が倍に増えていて、いつも不安定で、ギリギリのところにいて、どんどん自分のことが解らなくなる。


筋肉痛みたいな痛みを慈しんで、そうして自分がひとまわり大きくなっていることに気づいた時、私はなんとも言えない多幸感と興奮に包まれる。

今まで、幸せになりたい、と願う時、なぜかいつだって誰かと手を繋ぐ姿を想像していた。だけど、この痛みの先の多幸感はどうやったって私ひとりのものだ。むしろ、繋いでいた手をはなして、自分の足で飛び出した時にこそ得られるものだ。

毎日愛する人の腕の中で眠ること、毎日包み込んでくれる人を選んで愛すること、側にいられなくても愛していると誓うこと、どんな日も密かにおもい続けること。似ているようで全然違うし、どれも間違いじゃないし正解じゃない。ただただ流されないでいたい。
もし本当に導かれているのだとしても、いつだって少し痛いくらいでいたい。ただゆらゆらと漂っていてはいつか、乗っ取られてしまうよ。

目を逸らさないで、誰かが見た触れた誰かの感想で満足しないで、自分のその目で皮膚で感じて。
幸せは誰にも決められない。自分の幸せをもっと貪欲に求めたい。探したい。人生はもしかしたら私たちが想像しているより何倍も長いのかもしれなくて、それならば一層、本気で探さなくてはいけない。


気づけば最寄駅だ。ああ、帰ってきた!

日本の澄んだ冷たい空気に頬をつねられている気分。ここ数週間の夢のような出来事たちもぜんぶ、夢なんかじゃない。慣れた匂いや風景に安心するとともに、少しだけ怖くもなっている。

ひとまず、
今夜は無事に帰って来れたことを喜ぼう。そうしてゆっくり、考えて、探して、またしっかり創ってゆこう。いろんな形ではやくみんなのお目にかかれますように!

ただいま!

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