恥を知る。51.『オハイダー!』

28歳になった。

なんだか今年の誕生日は冷静だった。こんなにシンプルに『ひとつ歳をとった』と感じたのは生まれてはじめてかもしれない。

嬉しくも悲しくもなく、ただただ『ひとつ歳をとった』という事実を、頭も体も心もしっかり理解している、という感じだった。体が大きくなるわけでもなく、新しい出会いが無条件にやってきてくれるわけでもない、大人の誕生日にやっと慣れたのかもしれない。

そのせいか、具体的に28歳のうちにやってやろうと思っていることがすでにいくつかある。今まで何に対しても割と行き当たりばったりで、抱負をたずねられても漠然としたことしか話せなかった。しかしどうだ、28歳の私といったら明確な目標をするするとたてて、それに向けてもう動き出したりなんかしているのだ。

なんかかっこいい。

そんなかっこいい私(28)、もうすでにひとつ成し遂げてしまったことがある。それは

Twitterをやめる。

結論から言うと活動情報のみを発信するアカウントとして使い続けることにしたのだが、まあ実質やめたようなもんだ。長年毎朝かかさず『オハイダー!』と朝の挨拶をツイートしてきたがそれもおしまい。ほんのり寂しいがちょっとスッキリしたのが本音だ。みなさん本当に長年お付き合いありがとう。毎朝ちゃんとみんなと繋がっていることを確認できて私は本当に幸せだった。

『オハイダー!』と毎日呟きはじめた頃、私はまだ学生であった。当時地下アイドルの沼にズブズブにハマっていた私は休みのたびにアイドルのイベントへ出向き、チェキを撮ったり写メを撮ったりした。そんな私を知ってか知らずか、ある日『アイドルになりたい』という名のサーキットイベントにペロペロしてやりたいわズ。で誘っていただいたのだ。純粋にバンドや弾き語りのイベントであったが、そのタイトルに感激した私はその日から、アイドルのように自分の名前をもじった挨拶を始めたのだった。

それから何年かたったころ、イベントを主催されていた方の訃報が届いた。

私は毎日『オハイダー!』と呟き続けた。なんとなくそうすべきだと思った。お恥ずかしながら、使命感みたいなものまで感じていた。

あれからずいぶん時が経った。気づいたら朝の挨拶は私のためのものになっていた。毎朝みんなと繋がっていることを確認して、今日も私は生きているぞ、と実感するためのツールになっていた。

もっと言うと、それ以外のことがとても苦しくなっていた。流れるように動くタイムラインには私が欲しい言葉はなにもないような気がした。スクロールする手を止めて誰かの発言をじっくり読む回数も減った。なにより、誰かに欲される言葉を自分が何も発信できていないような気がしていた。ここに私は必要ないし、ここは私に必要ない、そう思った。

今、私はとてもスッキリしている。見たいもの、知りたいことは自分から選んで摂取しに行く。あてもなく流れていくものに傷つけられないし、負けない。28歳の私は、私を精一杯守ろうと思う。誰になんと言われようと、私は私を守り、私は私を愛す。

『オハイダー!』がなくても、私はみんなと繋がっているし、ちゃんと生きている。今はそう思える。お誕生日おめでとう!私!

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