30歳を前にして思うこと。

30歳だ。

あと1ヶ月もしないうちに私は30歳になる。
年齢ほど確かなのに曖昧なものって他にないと思う。歳をとればとるほど、逆らえないとも思うし、同じくらい努力や気分次第だろう、とも思う。過ごした時間は確かだけど、その間に得た知識や技でその印象を曖昧にできる、といったところだろうか。

なんとなく今は曖昧にしたくなくて、20代最後のこの1年を頻繁に振り返るようにしている。信じられないほどアクティブだった。その最中にいたときは『アァ、歳をとったな。』と、体が重たくなるたびに考えたが、振り返ってみればむしろもっと体調を崩してもよかったと思う。休む間がなかった。比喩でもなんでもなく、体のどこかがずっと動き続けていた、そんな感じだ。そんな日々を健康に乗り越えたのだから、どちらかと言えばタフさは日に日に増している気がする。これは心身共に、だ。

新しい場所に飛び込むときに神経を使うのは容易に想像できるが、かつていた場所にもう一度戻ることも同じくらい、いや、それ以上に神経を使う。様々な要因はあるにせよ、その多くが苦しくなって去った場所だ。そこに29歳にしてまた舞い戻るなんて、正直考えてもいなかったし相当な覚悟が必要だった。

身体表現のイベントでソロ作品を1から作って踊ったことも、大ホールの舞台でダブル主演を務めたことも、憧れ続けているバンド達とまた一緒にライブをしたことも、すべてこの1年の話だ。29歳の私が全て引き寄せ、掴み、成し遂げたことだ。

よく『アンタ一人では何もできないでしょう』と言われるし、私もそれは重々承知だ。本当に。切実に。この世の誰よりもそれを分かったうえで、それでもあえて今日は声を大にして言う。たしかに私一人ではできないが、私がいなければ始まりもしなかったであろうことがこの世には存在する。ヒュウ。

最近、不意に何もかもを失った時のことを考える。家、仕事、お金、友人、家族、自分の体、心。恐ろしくてたまらない。このままでは…このままでは…!とがむしゃらにもがいて疲れ果てて冷たい床に倒れ込んで気づく。では、今私が覚悟を決めて掴んだこの全てを捨てれば、その何もかもを守れるのだろうか。誰かを真似てそれらしい道を歩めば、そばにいる人を安心させることくらいはできるのだろうか。

それはいったい誰のための人生?

失うことばかりを考え、まだ経験したことのない極限状態を恐れ、何かを諦めたり逃げたりすることは、極端だけど、生まれた時から死を恐れて生きていくような、それと同じような気がした。

先が長かろうと短かろうと、そんなことは私にとってあまり大切ではない。生きている間は生きなくてはならない。私は私を全うしなくてはならない。大層な人生でないのなら大層でない人生を、中途半端なら中途半端な私を、全うしなくてはならない。私の人生は私しか生きられない。明日の服装も髪型もアイシャドウの色も、私にしか決められない。

30歳だ。

あと1ヶ月もしないうちに私は30歳になる。
ちょっと油断すると二度と立ち上がれなくなってしまいそうな日々、強気の29歳をここに記しておいた。幾つになっても読み返そう。思い出そう。大丈夫。ひとりだけどひとりじゃない。ひとりじゃないけどひとりだ。大丈夫。思い出そう。確かに、生きてきた。30年、生きてきたのだ。

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