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Culture:耕すということ①「なぜ、食べ物を育てようと思ったのか」

人類のみなさん、こんばんは。

むじゅんです。

先日、初めて自分で食べ物を育てるべく、祖母の畑を借りて、じゃがいもを植えてきました。

その時感じたことを記録に残そうと思います。


なぜ、食べ物を育てようと思ったのか

わたしは、18歳のころ、心底人間という存在に絶望したことがあります。

なぜなら、人間は、この地球に生きている数多の生物の中で、最も弱いと言っても過言ではないと思ったからです。

それは、わたしも例外ではない、というより、わたし自身がとてつもなく弱いから浮かんだ思考でもありました。

いや、弱いだけならそれは単なる事実です。

絶望したのは、人間が弱いという事実に加え、人間社会で生きていると、人間が自然の支配者であると慢心しているような空気を感じたからでした。

人間は、森を切り開き、コンクリートで地面を隠し、夜に煌々とした明かりをともしました。

わたしは、これを悪いと思っているのではありません。

わたし自身、人間が開拓し、文明を築いた恩恵を受けています(近現代はやり過ぎだとは思いますが。わたしの住んでいるところは田舎で、夜出歩く人などほとんどいませんが、24時間コンビニが営業されています)。

しかし、それだけのことをしても、人間は、一晩外で過ごせなかったりします。

もちろん、長年屋外で生活を続けていらっしゃる方もいます。

それでも、夏の屋外で夜を越そうとした人が、低体温で亡くなったという話を聞いたことがあります。

冬なら尚更です。

水が少し汚染されていればお腹を壊すし、お風呂に入らないと衛生を保てません。

花粉やほこりに過敏に反応したり、野菜を洗わないで食べるとまたお腹を壊します。

そして、いくら体が健康でも、心の調子を崩してしまうと何もできなくなります。

食べることも、眠ることも、お風呂に入ることも、何を着ようか選ぶことも、自分が生きたいと思えることも……。

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人間は、経済のシステムを作り出しました。

おかねを作り出し、価値、信用を与えて、便利に多くのものを得られるようになりました。

とても便利ですよね。

でも、お金が無ければ、一晩を屋根の下で過ごすこともできなくなってしまう。

それに気が付いたとき、わたしは寒気がしました。

何をしようにも、お金がいるのです。

でも、わたしは自身を省みた時、あまりにお金を産出する能力が低いように思えて、いや、気づいて、悲しくなりました。

持病で毎日お腹を下し、学業や仕事に行くのが怖い。

他人の些細な言動や強い刺激に、ちょっとしたことに傷つく。

デスクライトの光で頭が痛くなり、大きな音に恐怖し、階段を上るときには恐怖でぎこちない動きになる。

車の免許を取ろうとしたとき、恐怖で涙が止まらなくなる。

就職活動に取り組むと、言いようのない寒気と危機感に襲われて、死にたくなる。

とにかく、「生きたい」という最低限の欲求がないから、就職活動や働いたときに「生きるため」という動機で踏ん張れない。

などなど。

そして、そんな自分が嫌で、ぐるぐる思考してしまう。

わたしが泣くのは、自分が情けないときです。

感動する映画を観ても泣きません。

わたしは、生きていく術を探しています。

わたしには何ができるんだろう。

音楽?

やってみたら、意外なことに曲を作ることができました。

オンラインで、パソコンの前に座って会社説明会を受けているときより自由に。

そのときの1時間より、曲を作っている1日の方が短かった。

わたしは、思いもよりませんでした。

音楽で表現することに、こんなにもわたしは夢中になれるのだと。

こんなにも、自由な気持ちになれるのだと。

そして、本。

Instagramを見ていると、世の中には私設図書館というものがあると知りました。

小さな本屋さんも。

人と人が顔を合わせて行う商いが、この日本にはまだ存在していたのです。

3日だけ、大型本屋さんでアルバイトをしたことがありますが、はじめに話したときよりもシフトがたくさん入っていただけでなく、明々とした蛍光灯の下で、流れ作業で本の清算を済ませていく行為は目が回り、わたしには耐えられませんでした。

もちろん、わたしは大型本屋さんにはたくさんお世話になっています。

大きな本屋だからこそできる豊かな仕入れで、素敵な本にも巡り合えました。

しかし、あくまで売り上げやそれに付随した意図で選書された本がたくさん並べられて、ベルトコンベヤーに乗せられた工業製品のように清算されていく本屋さんの在り方は、少し寂しくも感じてしまったのは事実です。

これは、アルバイトをする前には思いもよらなかったことです。

なんだか、なじみの店主さんがいて、その店主さんがどうしてこの本を選んだのかが分かる本屋さんや図書館にあこがれを抱くようになりました。

これは今は夢ですが、私設図書館を開いてみたい。

そこでおしゃべりしたり、雨音を聴きながら静かに佇んだり、一緒にお勉強をしたり、音楽を奏でたり。

居場所が欲しい。

生き辛い人たちの居場所。

優しいからこそ生き辛くなってしまう人の……。

でも、この夢を親に話すと、食っていけないと言われました。

当たり前ですよね。

人生経験の極めて少ない小娘の夢ですもの。

自分でも甘いと思うし、甘いと自覚してる部分もまた、甘いのでしょう。

しかし、わたしは、一つ反抗にも近いような言葉が頭に浮かびました。

食っていけないなら、自分が食べる食べ物を自分で作れないかな。と。

生き方を模索するため大学の図書館で本を読みました。

その中で、「半農半X」という考え方を知りました。

農業で生計を立てるのではなく、もう一つ自分の軸を持っておく。

創造的な軸を持っておく。

すごく素敵だなと思いました。

わたしは、幸い両方の祖母が畑をやっていて、小さいころから土いじりをさせてもらっていました。

楽しかったけれど、それは、おばあちゃんたちが手塩をかけて育てた作物の、一番おいしいところをやらせていただいていたことに過ぎないと少しずつ分かってくるようになりました。

幼稚園で、田植え、稲の収穫を手でおこなったときも同じです。

わたしは、土いじりが好きだったけれど、作物を育てる過程、つまり大変なところを経験していないことがコンプレックスになりました。

わたしは、やってもいないのに、辛さを経験してもいないのに、土いじりが好きだと言っていないか。農業をやってみたいと言っていないか。

言葉で言うのは簡単だし、頭の中でシミュレーションしているだけでは何も変わらないのです。

とにかく実際にやってみないと!

わたしは、祖母と母の協力を得て、畑とプランターでじゃがいもを育てることにしました。

自分で食べるものを育てる。

わたしの口が、綺麗事を吐かないように。

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続く───。

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