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黒衣の令嬢は薔薇の色を塗りかえる(22)

お茶会裁判

7-5

「もったいないお言葉です」

 いつの間にか、王太子の傍らに紙とペンを携えた従僕が控えていた。

「二つ、確認したい。私の個人的な興味からくる質問だ」

 頬杖をつく王太子の前に、紙とペンとが並べられていく。ヴィクトリアは居住まいを正した。

「なんなりと」

「爵位には義務と責任が付きまとう。自由とは対極にあるものだ。お前にとっては爵位など、足枷にしかならないのではないか?」

 王太子のその言葉には、ひと月前のような揶揄する響きも、侮るような色もない。本当に、単純な疑問だとその声は告げている。

「確かに、そういった考えもあるかとは思いますが」

 ならばと、ヴィクトリアも正直に答えることにした。

「権力を持たぬ女一人の自由などたかが知れております。制限や気苦労は意外に多いもの。いざという時切れるカードは多い方がいいと、わたくしは考えております。それに、父が大切にしていたあの地をわたくしも愛しています。大切にしたいのです」

 聞いた王太子は意外にもすんなりと納得した様子で、錯覚でなければどこか穏やかな空気すらを滲ませて頷いた。

「そうか」

「……二つ確認と仰いましたね。もう一つは?」

「なぜそうまで爵位に固執するのか、と聞こうとしていたが、もう分かった」

 そう言うと、王太子は目の前に置かれたペンを取り、広げられた文書に目をやった。
 なんとなく、このひと月敵対するような気持ちでいたからだろうか。こんな雰囲気は調子が狂う。
 別に納得しているなら、これ以上言葉を重ねる必要はない。それでも、不可解な気持ちに押され、ヴィクトリアはあえて口を開いた。

「……今申し上げたことと、もう二つ」

「ん?」

 ヴィクトリアの言葉に、今まさにペンを走らせようとしていた王太子がその手を止めて顔を上げた。

「わたくしは、人に頭を下げるのが好きではありません」

 さすがに予想外な物言いだったのか、王太子が本当に僅かだが、軽く目を見張った。

「女だからなどというくだらない理由でわたくしを見下し、ふんぞり返っている男性には特に、下げたくありません」

 貴族女性であれば例え相手が王であろうとも膝を曲げれば済む。だからヴィクトリアは貴族であり続けたかった。

 きっぱりと言い切ったヴィクトリアの言葉に、ちょうどお茶を飲むところだったセオフィラスが咽て、もちろん比喩だが笑い転げた。王太子も、ほんの少し苦笑し、そしてヴィクトリアに続きを促す。

「もうひとつは?」

「元々自分が与えられるはずだったものを横から誰かが掠め取っていったら腹が立ちませんか?」

「確かに」

 さらに苦笑する王太子と笑い転げるセオフィラスを尻目に、ヴィクトリアは心の中で続ける。
 それに、ヴァンホー商会を売却しようとしていたのだ。ヴィクトリアの大切な会社を。
 いずれヴィクトリアが爵位を継いだその時に、領地と事業、両方の運営はさすがに負担が大きすぎると思ったがゆえに。

 ヴィクトリアにとって、爵位は大切な会社を断腸の思いで諦め、そして選び取ったもの。だからこそ、どうあっても諦めたくなかった。

「陛下にお口添えいただけますか?」

 少し、正直に述べ過ぎただろうか。

「ん? ああ。いや、この文書で十分だ」

 不安になってきて伺えば、王太子は特に何か思うところがあるような様子もなく、広げていた紙の上でペンを走らせた。
 見れば、その紙にはすでに書き記されたものがある。その下の方、文書の末尾に王太子が手慣れた様子で何かを書き記した。

「ほら、これでお前はヴィクトリア・リデル伯爵だ」

 ペンを片手に持ったままの王太子によって、その文書がぺらりとヴィクトリアに差し出された。
 促されるまま受け取ったその生成りの厚い紙には、ヴィクトリアに爵位を与える旨が記されている。

「叙勲式は近くまた改めて行う」

 末尾に書かれているのは未だインクの乾いていない国王のサイン。
 書いたのは王太子。公文書偽造、という言葉がヴィクトリアの頭に浮かんだ。

「心配するなそれで爵位は戻る」

 なんと言うべきか、と口籠るヴィクトリアに王太子が事も無げに続けた。

「三年程前から王の署名は全て私が書いている。この国は既に私のものだ。即位こそしてないがな」

 今の方が自由が利く、とどこか満足気に椅子にふんぞり返る姿は、実に堂に入っている。ただの椅子が玉座に見えてくるほど。

「ところで、ヴィクトリア・リデル。どうせならもう少し高い位に興味はないか? そこの人格破綻者から色々聞いてはいたが、なかなか興味深い。有体に言えば気に入った」

 ヴィクトリアが何かを言うよりも先に、セオフィラスがいち早く反応を示した。

「は? ちょっと、さすがに結婚相手を分け合う趣味はないんだけど」

「お前は振られていただろうが」

「振られてないし」

 背後に控えるヘンリエッタと、隣の席に戻ったダンテも名状し難い空気を放っている。それら全てを気にした素振りもなく、王太子は口の端だけを釣り上げて笑った。

「返事は今でなくとも構わない。考えておけ」

 王太子とセオフィラスがじゃれ合うように言い争っているが、その内容は少しも入ってはこない。実は先ほどの王太子の話すら、後半ほとんど聞けていなかった、と言ったらまずいだろうか。
 後でヘンリエッタに王太子の発言をちゃんと確認しておかなければ。

 ヴィクトリアは後の自分にそれを課し、今し方ようやく手に入れた文書に改めて視線を落とした。

 リデル伯爵の領地及び爵位について、それを継ぐ者がヴィクトリア・リデルであることが明記されている。
 今この瞬間から、ヴィクトリアは伯爵となった。領地も、屋敷も、これで元通り。
 父だけは、戻らないけれど。その父の後を、ヴィクトリアが継ぐ。継ぐことができる。
 父が眠るあの美しい場所を、大切にすることを許された。

 過去の記憶の中にしかいない父が、笑ったような気がした。
 家に帰ったら「よくがんばったね」そう言って、きっと頭を撫でてくれるに違いない。
 きっと、そうしてくれたに違いない。

 これ以上下を向いていたら、ここで零すべきではない何かが溢れて零れてしまいそうだ。

「……この」

 気が付けば、震える声でそう言っていた。

「この、ご恩に報い、生涯変わらぬ忠誠を」

 立ち上がり、王太子の前に立つ。位置的に見下ろしていようとも、戴く威光に心は平伏す。
 絶対的な服従を、狂信的なまでの忠節を。

 ヴィクトリアは、今日で着納めとなる黒衣の裾を持ち上げた。背筋は伸ばしたまま、膝を深く折り曲げる。胸元に手を添えて、頭は決して下げない。

わが主君ユア・マジェスティ

 それでも、その王冠に忠義を捧ぐ。ヴィクトリア・リデル伯爵として。

 

おわり


全22話

王太子殿下は冷酷無情

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