砂師の娘(第十七章大きな影が)

 しんさまの歌声。その歌声はやがて、その場の者、みんなの耳に届くようになった。当然のことのように、みんなの目はしんさまの顏にそそがれた。しんさまの顏は、暗い水面をかすかに照らし出す明かりでは、よく見えなかった。しんさまはみんなの目から、顔をそむけていた。
すぐ側で、しんさまの手を握っていたゆうだけが、しんさまが顔をそむけているわけを知っていた。
(しんさまが泣いている)
しんさまの泪はしんさまの頬を濡らし、固くかみしめた唇から、首筋へと流れてゆく。
歌声は遠い鳩の鳴き声のように、くぐもって聞こえたが、聞く者の胸を揺るがす悲しみの歌だった。
今、まさに失われてゆく命を悲しむ歌だった。
  涙を流しておくれ、そう、はりさける私の命、私の若い命。
流しておくれ、さよならも言わずにお前はまぶたをとじた。その明るい目が、朗らかな笑いを含んだくちもとが、もう二度と私の名をよぶことがないなんて、、。
泪を流しておくれ。ああ、張り裂ける私のこころ。
「みゃーご」
ややの濡れた毛なみがゆうの耳に触れた。
「やや」
肩に食い込むややの爪が痛かった。爪の位置をはずそうとしたとき、なにを勘違いしたのか、ややの鋭い爪がゆうの頬をひっかいた。
「あっ、痛い」
声をあげたゆうは思わず、しんさまの手を握っていた手を放した。いや、それとも、しんさまがゆうの手を放したのだったか?
 悲しい歌声はやんでいた。どうしたのだろう。誰もいなかった。ゆうのまわりから、誰も居なくなっていた。
暗い湖には、湖の底へ誘うような、細い光る砂で出来た道がゆれていた。
(一体、何が起きたのだろう?どうして、みんな居なくなったのだろう?)耳をすましたゆうは、闇の中に、低い驚きの声を聞いた。
「ああ、ああ、死んだのか?とうとう死んだのか?」
「しいっ、不吉なことを言うでない。言霊がどんな悪さをせんともかぎらん」
「だけどもよ、岩ばばさま。あんさはあのお城のぼっちゃまのちっこい心臓を取り上げたじゃろうが、、」
「ああ、また、人聞きのわるいことを、、。この岩ばばさま、いくら身体が弱っているかといって、お城の若さまのいきぎもを盗んだりするものか?あれはのう、お城の若さまに、持っていってもらいたいものを渡す方便だったのさ。」
「渡すって、あのちっこい袋かや。たまげたがや。あれは岩城の滝に住みついている蜘蛛を入れたものじゃぞ。」
「しいっ、しい。おまえの声は大きいであかん。其れより姫の方はどうなった?運よく、一人にさせたかや。」
ゆうが聞き耳を立てたとたん、闇の中からの話し声が聞こえなくなった。
ゆうは湖の遠くから、不思議な光りを持った波が揺れてくるのに気が付いた。
湖の底へと続く道とは遠く離れて、暗い湖の反対側に退いてゆく波にあらがうように寄せてくる波の光りだった。
ゆうは魅せられたように,近づいてくる黒い大きな姿を見た。その黒い姿は水の中を奇妙な拍子て揺れながらも、、かなり早い速度で、ゆうの方に近づいてくる。
その黒い影は自分を見つめているゆうに気が付くと、途方に暮れた様子で立ち止まった。
「良かった。まだ足を踏み入れてなかったか。その道を行ってはいかん」
その大きな影は男とも女ともつかぬ奇妙な声でつぶやいた。自分の背負った大きな黒い影に、すっぽりとゆうを包み込むようにした。
黒い影には、ゆうが今まで嗅いだことのない複雑な匂いが籠っていた。
「あんたは誰?何故、わてにそんなことを言うの?」
ゆうは黒い影の奧に光る二つの目を恐れることなく見返した。大きな黒い影をまとっている姿はなにか、恐ろしい力を感じさせた。けれども。自分に話し掛ける声の、どこかたよりなげな調子が、ゆうにそんな態度を取らせた。「おお、お前は私が恐くはないのか。それなら、話しが早いわ。お前はどうやら、一人のようだ。他の者たちよりも早く、お前の行きたいところへ連れていってやろう、」
「そこがどこか?何故知っているの?」
黒い影は不意に飛び出したような短い笑い声をあげた。
「なぜ?なぜ?なぜ?さっきから、お前は聞いてばかりいるぞ。
何故ってか?それはこんななりゆきになることを考えたのが、わしだからだ、、」、
黒い影は身体をおおっていた大きなマントを広げると、ゆうの身体を包み込んだ。ややが低く耳を伏せた格好で、ゆうの胸に飛び込んだ。
大きな男の身体は魚のように冷たく冷えていた。死人のようだった。
(第十七章A面終わる)

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