あかねが淵から(第21章C面ひろ、さらわれる)

歌唄いの部屋の一角に閉じ込められていた森の詩人たちは、ひろの読み上げた月光文字によって解放された。
「歌唄い、お前はなにを企んでいるのじゃ」
ひろを鳥のように抱き抱えている巨木は、なおもどんどん伸びていきながら、歌唄いに訊ねた。
その樹をかぼうように、森の詩人の樹たちは久しぶりに全身に行きわたる森の香気に身体を揺り動かしながら、口口に叫んだ。つぎつぎと湧き上がる言葉のように、緑の葉っぱや小枝を闇のなかに騒々しくまき散らしていた。たがいの身体を軽く打ち付け合いながら、ずんずんとその背丈を伸ばし続けていた、。歌唄いはその樹々の間を縫うように、白い体を詩人の樹に巻き付けながら、かなり早い速度で、ひろの居る巨木の方へと迫ってきた。
水車番はひろの傍にうつろうとしたが、あたりは解放された森の詩人たちの興奮にも包まれていて、何もかも目まぐるしく動いていた。水車場は用心深く、身をすくめて、ぎりぎりと身をよじらせる樹にしがみついているのが精いっぱいだった。歌唄いは、細くとがった顎を振り上げて、低く地を這うような唸り声をあげながら、追い迫ってくる。歌唄いの目は半分閉じられていたが、その目は鋭くひろの姿を見据えている。

ひろはその冷たい目に見すえられて、急に激しいしゃっくりをし始めた。
「私の歌姫よ。さ、私の所へもどるいのです。この樹たちはもういつまでも伸びていくことは出来ない。すでに足元は炎に包まれている。あなたは私から逃げるてだてはない。」

「いやだ。いやだ。誰がひっく、いくものか。しゃっく」。
余りに恐くて、かえって泪もでない、ひろはただ、首を振りながら、しゃっくりをくりかえしていた。バチバチと火の弾ける音がして、すっぱい白い煙がもくもくとはいあがってくる。
「なんということを、歌唄い、お前はこの城に火まで放ってしまった。正気か?わしたちを長年、閉じ込めただけで足りずに、焼き殺そうというのか?森の千年の掟を忘れたのか?このようなことをするとは、お前は本当に歌唄いなのか?」
ひろの抱きついている樹がぐらぐらと揺れだした。高く燃え上がった炎が森の詩人たちの、足元を勢いよくなめはじめた。炎に照らし出された歌唄いの身体が不気味に七色に照らし出された。細い尖った顎の横の蔓のような髭
が、ひゅるひゅると鞭がしなるような音を立てて、ひろの足もとに巻き付いた。
「あんたなんか大嫌いだよ。あんたの歌も気取ってばかりで面白くないよ。」
ひろが悪口を言い始めると、激しいしゃっくりがとまった。
歌唄いはふだんのとりすました顔を捨てていた。ひろに自分の詩の悪口を言われたときに、歌唄いの顔が蒼白に変わった。
「おのれ、小娘、なにも判ってはおらぬくせに、、」
歌唄いの長く伸びた舌が熱湯のように、ひろの顔を打った。ひろの悲鳴と、抱きついた樹のはげしく軋る音がした。
ひろのしがみついていた樹が弓なりに倒れていった。その下敷きになった歌唄いも複雑に身体を巻きつかせていたので、身体をぬくことが出来ずに下敷きとなった。 

歌唄いの最後は詩人らしく、美しいものだった。白い虹のように、白蛇の胴体に光りの細かい筋目ができたと思ったとたん、その中からきらきらと輝く、数千の小鳥が飛び出していった。闇の中で大蛇の身体が二つにちぎれたようだった。頭部を含む身体の一部は低く唸り声を上げながら、湖の上方へと飛んでいった。
「ああ、ひろがいない。ひろがさらわれた。」
「水車番は?どこへ行った?」


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