あかねが淵から第八章(B面)

闇の中の声
かいは波の音を聞いていた。
 楠の木のおばあの捻挫の手当を、どうにかすませたかいは、おばあの差し出す干し芋や少しつぶれた青みかんを食べた。頭上からさしこむまがりくねった細い光りで、かいの顔をまじまじと見ながら、楠の木のおばあは、おかしそうに顔をゆるめた。
「なんとのう。お前はむきたての卵みたいにきれいな若者じゃが、今はさて、。あとで川の水でさっぱりと顔を洗えよ」

かいは手ぬぐいで乱暴に顔をぬぐった。顔の埃がよれて、ますます変な顔になったが、楠の木のおばあはその顔を見て、それ以上、何も言わなかった。歩いて十歩もさがれば、川べりに行けるのに、それを恐れるかいの気持ちが判ったのだろう。
「さて、少しでもあかりのあるうちに、寝るしたくをしておこう」
とよの用意してくれた荷物のなかに、雨除けの油紙や、蝋燭も用意されていた。
「まるで、どこか遠くへ旅にでかけるような念のいった支度じゃな、、」
楠の木のおばあは、とよの支度のよさを、しきりに頷きながら見ていた。
かいが血の付いた布きれをまとめて捨てようとしたときに、
「かい、その血のついたものは、わしらの頭のまわりにばらまいておくのじゃ。あいつらは血のついたものをいやがると聞いておる、、」とつぶやいた。
「あいつらって、一体だれのことを言っているんだい?。だれがこんなところに来るって言うんだ」
かいはあくびをしながら尋ねた。
(こんな地中に閉じ込められた俺たちの所へ、だれがたずねてくるというのだ。)、

かいは二つ目のあくびをする間に、ちらっと考えたが、答えを聞かないうちに、眠り込んでしまった。
(眠るな。眠ってはいかん。あいつらが来るぞ。)
頭のなかで、しきりに呼びかける声がした。

かいは暗い波が音をたてて、押し寄せてくるのを聞いた。
(ああ、夢だ。また、おれは暗い波に囲まれる夢を見ている、、。)
身体をゆがめた窮屈な姿勢から、はっと目をさましたかいは、夢ではなく、ひたひたと寄せてはとまる冷たい波の音を聞いた。
「ドジ、グズ、アホ、そのほか、人間どもがつかっておる悪しき言葉をまとめて、お前にかぶせてやるぞ。さっさと行って、お前が連れてきたばあさんを処分してこい。いいか、何度も言うが、お頭の白竜さまはカーだけを連れて来いとおっしゃったのだぞ。」
いかりをおさえきれない声が、波の音に混じって聞こえた。あまりの剣幕にふるえあがって、返事のできない相手に、又、浴びせかけるように、怒鳴り声が高くなった。
「しーい。、静かに兄じゃ、カーが目をさましますぞ。」
「うるさい。ドジ、間抜けのお前の注意など聞くものか?ついでだから、教えてやるが、カーにたちの声は聞こえないのだ。」
 かいは、そっと目を開けた。いつのまにか眠っていたのだ。もう、わずかに差し込んでいた光りは消えていた。
 あたりはとっぷりと深い闇だった。
水かさがまして、波が川なかの岩にぶつかって荒れているようにも思えた。
かいは今、川のなかに潜んでいるものたちの会話を聞いてしまった。会話の内容もカーというのが、自分のことだというのも判るのだ。
「待ってくれ、待ってくれ。兄じゃ。あのばあさんはカーにのりみたいにくっ付いてきたのですぞ。この深い地の底に、あんな年よりをおいてきぼりにすることなど、あたしにはできないですよう。そんなことは質の悪い人間どもだってしませんよう。ここは正直にあたしのドジを白竜さまに、申し上げてくださってけっこうですさ。あたしはどこか旅の途中で、あのばあさんをカーから、きっとはなしてみせますから。
どんなことがあっても、必ずカーを次の満月の夜までには、姉妹の塔まで、連れていきますからと、約束しますでね。これはドジな竜の約束ですがね。いや、知に智き一族の名誉にかけてもと言えばいいのか、、。」
怒り狂っていた声が急に静かになった。
「お前がそこまでいうのなら、そうしよう。わしとても、あの二人の姿を見たら、向うに残してきたばばさまのことを思いだしたぞ。たしかに、お前の言う通り、こんな場所に首をつっこむ年よりなどは思いもしないよな。カーのことはお前にまかせるとは、白竜さまが決めたことだ。わしらのなかではお前が一番、カーとつながりがあるからな。血のつながりは尊いものだと聞くぞ。見張りをおこたらないでな。困ったことがあれば、わしらの助けをよぶがいいぞ。」
 ひときわ、荒い波のぶつかって砕けた音がした。そして、それきり、地中の川皮はもとの静けさに戻った。
 かいは音のしたあたりに、金色の目のような光りがふと見えたような気がした。(8章B面終わり)

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