ひつじのパタポン

今日、不思議な建物を見てきた。いずれは葦葺きになるという屋根は未完成だ。柔らかい袋に土とセメントを混ぜ合わせたものをいれて固めたものを、積み木のように積み上げている家。なにとなく、小太りの小さな鬼たちの腕やおなかを積み上げて作ったような家であった。
 縄文時代の住居のようにも見えるし、蒙古のパオの固定版のようにも見える。ただ、木製でも、布製でも、石製でもないから、家から漂う感触は妙に移動可能な自由さがある。現代版「庵」的要素がある。
「方丈記」の作者、鴨長明が宇治の日野山に庵を結んだ時の引っ越しは、折り畳み式の外壁を含めて、大八車二台で足りたという。小さな文机、愛用の琵琶、草の穂を束ねた箒。彼はそこで「方丈記」を書き上げたのだ。
 しきりに、落葉のはじまったクヌギ林を背景に、どこか人間だけでなく、森の世界にも扉を通じているようなこの建物は、どのような人が住むことになるのだろうか?
 周りには柔らかく枯れた芝の原っぱ。この家の主人と友人たちと吹き寄せる風が、気の向くままに集めてきたような、雑多な名札をつけた若木や、ハーヴがのびのびと育ってきている。羊が二頭、のんびりと近寄ってきた。
「あら、パタポンがここに居るわ。」
かって、我が家の愛読書だった「まりちゃんとひつじ」という絵本。羊の名前はパタポン。それで、私は羊に会えばパタポンと呼ぶ。
パタポンは今度は千日紅の赤い花を掬いあげるようにして、食べはじめた。
「あっ、お待ちパタポン。それは食べてはいけないのよ。名札がついているでしょう。」
 そうか。パタポンはまだほんの子羊。字が読めないのね。

猫だましとふ技を猫にためす山茶花が笑ふたやうなおどろき
祝ぎ歌を歌ひて秋空ゆるやかに雲の光芒も定まれり
坂下ればむらさき溜めゐる竜胆一家 秋の底かくも澄みたり

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