湖を眺める

 いつまでも電車の時刻を確かめないで,駅に急ぐ癖が消えない。私の住む町の駅は一時間に快速電車が一本、普通電車が一本というローカルな駅だ。私は電車が来ない駅というのが、人っ子一人の影もない、大変に孤独な場所であることを知った。そして、ひととき旅人気分を味わえる非日常な場所であることも。、高架のホームにある待合所、目の前のゆるやかに紅葉した山並み。やがては白々と輝く北陸の銀嶺も遠望できる。この頃、突然、空がどよもして、北帰行する雁の豪快な飛行訓練のパノラマも楽しめる。
 ある駅の待合所、琵琶湖に面したここからは、一日の湖面のドラマチックな展開も、つぶさに眺めることができるという。太陽の推移がさんざめく光りの饗宴、雲と風の描きだす荒々しい自然の横顔、時雨のあとには淋し気な虹の姿。湖面は晴れた日も、曇りの日も休むことなくものがたり続けるだろう。
 あふれ出す心を支えきれなくなったある詩人がこの駅の待合所に、来る日も来る日も通い、一日中湖を眺めて暮らしたと聞いた。
私もいつかやってみようと思っていた。友人の歌人にその話をしたら、明るく賛成してくれた。彼女も付きあうつもりらしい(待てよ、私が憂愁を帯びて哲学的な目で湖を眺める。その側で、若い友人は「寒いですからストールを。冷えてきましたから、温かいお茶をどうぞ、、」と。)あまりに即物的だわ。その駅を通りすぎるたびに、湖を眺めている私を思う。
むくろじの樹皮をひとかけ湖国ㇸとひと日流離の不在証明
駅の灯の瞬けば風も驟雨も幻のごと髪を乱せり
明るめどどこか時雨れるそのやうな水の匂ひのする一日

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