砂師の娘(第七章火の記憶)

 しんさまの身体はまだ頼りなく、水汲み女の頑丈な腕に支えられても、ふらついていた。そんなしんさまの口に、水汲み女は無理やり砂糖湯を飲ませようとした。
「ぎゃっ、、」水汲み女が悲鳴を上げた。
「この猫めが、この猫めが、せっかくの砂糖湯をこぼしてしまった、、。ああ、もったいなや。もったいなや。」
岩の床の上で、まだ蒸気を上げている器のかけらを拾いながら、水汲み女はひざに抱えていたしんさまの頭を、乱暴に放りだした。素早く、かけらを拾ろおうとして、自分の手から、血がこぼれているのに気が付いた。
低い岩や尖った細い岩、大小のあらゆるかたちの岩が並んで、そのどれからも蒸気が噴き出ている。背の高い岩の一つに、さっきの激しい蹴りを忘れたかのように、ややが冷たく見下ろしていた。
「むふ、ははは、いわんこっちゃない。先走って、よけいなことをするからだ。どうだ?この猫の爪の激しさは、、。どうだ、ひどく痛むじゃろう。」
「ええい、岩ばばさま、まるで、こうなることが判っていたような口ぶりですじゃな。」
水汲み女は怒りと痛みにゆがんだ顔で、岩壁に放りだしたしんさまを見ようともせずに、立ちあがった。
「待ちやれ。おい、どこへ行くつもりだ。まだ、お前の仕事は終わってないぞ」
「知れたこと。わたしら水汲み女はお城の使い女ですさ。それを、こっそり見張りの眼を盗んで、助けに来たのに。ああ、痛たやのう。痛い。あの猫めが、明日からの水汲みが一層つらくなるわい、、」
水汲み女は手に持ったかけらをややに投げつけようとした。
「みやーご」ややが素早く、飛びかかろうとした。怯えた水汲み女の手元から、外されたかけらは、岩ばばの顔にあたった。

しんさまは、遠い昔に、このように焼けた岩の上に広がった自分の髪の湿った匂いを思いだしていた。

「ここにじっとしておるのですよ。朝になって、東の空の星がみんな消えたら、しばらく、ようすを見て、ここから出るのですよ。」
あの時の、母親の厳しい声が、火のついたように泣いている赤ん坊の声に混じって、思い出される。そして、母親は突然に消えたのだった。
しんさまは湯気の出る岩屋の中で言われた通り、じっとしていた。
夜中に、突然に起こされて、この岩屋に連れてこられたのだった。母親の妙に落ち着いた声が、かえって、何も聞くことが出来ない気にさせたのだった。
その夜は、恐ろしい叫び声や物の壊される音、重い物のぶつかる音が響き合って、今までの静かな夜とは違っていた。それから、ゴオーッと冷たい風の音がした。しんさまは岩の隙間から吹き込むその冷たい音に身を震わせた。
そっと身体を動かすと、母親が出て行った方を眺めた。
この岩屋には見覚えがあった。突然、ひどい頭痛や腹痛など、なにか激しい痛みに襲われた者を運びこむ岩屋だった。入口の周りにはクマザサが生い茂っていて、そこは雨が降らなくても、葉が生き生きと水を含んで、輝いていた。
「こんなに激しい痛みに襲われるのは、どこかで、悪い精霊に出会ったからだ。」
そういう者が出ると、必ず現れる一人の老婆は、どんな屈強の男でも扱いきれないほど暴れる者でも、なんなく、この岩場に連れ込むことが出来た。 (わたしはどこも痛くない。なのに、どうしてここに連れ込まれたのだろう)
しんさまはそろそろと起き上がった。風が吹きこみ、気味の悪い音を立てている岩の隙間から、村の様子を覗いた。
美しい山のなだらかな斜面に散らばる家々の窓がすべて、赤々と灯をともしていた。家と家をつなぐ細い道が祭りの帯のように赤く燃えていた。どの家にも動く人影は見えなかった。里の長であるしんさまの家はひときわ明るく灯がともっていた。
(みんなはどこへ行ってしまったのだろう?何故、だれもいないのだろう。?)
しんさまは、一つの大きな絵のように、炎で描かれた村の姿を、胸の奧深くに焼きつけた。
母親の言った、星が消える朝、しんさまの目の前に広がるのは、冷たく焼け焦げた家々の後、まだ燃え切らないままに、くすぶっている煙のおくの小さな炎だった。
「あれ、まあ、子供がこんな処に、」
聞き慣れない女の声がした。しんさまはあっという間に岩屋の外に連れ出された。一晩、岩屋にこもっていたしんさまの身体からは、強い香草の匂いがした。
「みんな居なくなったというのに、何故、この子だけがこんな処に残されていたのだろう?可愛い賢そうな顔をしているじゃないか?」
「気をおつけよ。これは流行り病の者をかくまっておく岩屋だよ。下手に触ると病気がうつるかもしれん。」
三人の中で一番としかさらしい女が、しんさまに構おうとする若い女を止めた。(第七章火の記憶終わる)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?