ねむの花 舞姫たち

 流れ星が落ちるような、予測不可能な気紛れさで夏椿の花が落花している。廃園の背の高い夏椿が不思議な速度で落花していくのを眺めていたら、すっかり、暮れてしまった。大急ぎで家に向かう。
なんとまあ、ほの青い夏至の空に向かって、ねむの花が七つほど咲いていた。すでに眠りに入って、柔らかく羽根を閉ざした葉の上に舞いおりた鳥のように見えた。妖精の国から飛来した舞姫たちのように思えた。
思わず、「ようこそ」とウキウキとした、いそいそとした声を上げていた。
次の朝、そして次の朝、窓からみおろすたびに花のかずは増え、いつか、百はくだらないねむの舞姫が座っていた。甘い香りをふりまきながら、パフを使ってお化粧に余念がない。その華やかさ、賑やかさはまるで、ブロードウエイが引っ越してきたような。絶え間なく続くおしゃべり、くすくす笑い。
 永井荷風の七十九才で亡くなるまで書き続けた「断腸亭日乗」を読んでいる。戦後、彼は毎日のように、浅草のレビューを見に行き、楽屋に入り込んで、踊り子たちとの他愛ない会話を楽しんでいたという。
柔らかいもの、暖かいしなやかな肌触り、小鳥のように無垢な会話、彼の繰り出す猥談も、陽気に受け入れてくれる踊り子たち。
 戦火におびえながらも、自分の老いの姿のありのままを日記に記した荷風。
「軍部の横暴なるを今更憤慨するも愚の骨頂なればそのまま捨て置くより、他に道なし。我らは唯その復讐として日本の国家に対して冷淡無関心なる態度を取ることなり」。と。荷風は全く自分の力だけで生き、一生をまっとうした。
 私は今頃になって、その荷風の文学者としての強さ、人間としての品格に惹かれている。

まぎれなく己れ鳥族とうべなひて溢れるはなの中声の濁れる
合歓の花寄りかたまりて静かにもゆふぐれの胸に抱かれたり
蛾の重き水色の羽根遠き世の渚より光線を運びきたり

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