ある日 森の中クマさんに、
のんびりと、薔薇の蕾を数えたりして、幸せな夕刻の散歩の途中だった。この季節、空気は、野原の花の甘い香り、木の花の豊かな香り、新樹のスパイシイな香り、が混然と交ざっていて、大きく息を吸うと、心が伸びやかになる。
空の鳥たちも、たそがれの空の魔術に酔っ払っているのか、艶を帯びた息長い旋律を聞かせる。
「ああ、今年はつぐみが来て、ジューン・ベリ―の実をあっという間に、食べてしまいました。いつものジャムをお届けできないわ。」
「なんだか、今年は本当に森の住人たちがお腹を空かせているのね」
薔薇の花を見ながら、立ち話をしていたら、見慣れない動物が二匹、道を通り過ぎていった。
「まあ、狸や、かなんなあ。ここで狸を見るのは始めてやわ、、。かなんなあ、道を歩いていかはった、、。」
ヘンゼルとグレーテルみたいに、兄妹かもしれない二匹の狸は心持、肩をおとして、森の中の道へと消えていった。
夕方、散歩に出ようとしたら、玄関に「熊出没、注意」というチラシと、呼子笛が置かれていた。最近、熊がこの近くに出てきたということ。チラシにはあれこれ、熊に出会ったときの注意点が書かれている。
「熊にあったら、ばたんと倒れ、死んだふりをする」というのを、私は実践するつもりだった。
「駄目ですよ。そうではなくて、両手を上げてじっとして、電信柱のふりをするのです。熊は目が悪いので、通り過ぎてゆきます。死んだふりはもう古いです。」と。
昭和の頃、登山中に、熊に出会った人が、その場に倒れて、死んだふりをしたら、熊は去っていたという記事を読んだことがある。
「死んだふりをする人間を襲ってはいけないのだよ」。
おばあさん熊からの教えを聞いて育った熊もいるだろう、、。いや、居るはずだわ。
取りあえず、呼子笛を首に掛ける。黄色いプラスチックの呼子笛だ。
ちょっと吹いてみた。弱弱しく小さな音がした。
透明のもの重ねつつ組まれゆく会話と言へども静かな炎をあげ
たましひとふ水っぽきもの抱きつつ夏鏡遠き空をうつしたる
雨多き森なれ泣きやまぬスサノヲがみどりのこゑごゑ揺すりてゐたり
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