寒いやおまへんか

 まだ、西ドイツだった頃、「子連れ留学」なるものを三か月ほど体験した。ハンブルクの郊外にある一軒家だった。まるで絵ハガキの中に住むような、美しい風景のなかの家だった。歩道に面した前庭はオールドローズの花壇、裏庭には梨の木が一本、林檎の木が二本、そして、なんと紫のライラックの木が七本も。農具小屋の横には、小さなハーブの畑もある。ミニ・サッカーができるほどの広い芝生の庭だった。
借りることが決まった後で、屋根裏におばあさんが住んでいることを知らされた。
ハンブルクの州法で、その家の本来の持ち主は、物件を譲渡後も、屋根裏に住み続けることが出来るというのだ。
まるで、古風な家具が備え付けてあるような気軽さで、屋根裏のおばあさん付きであることを知らされた。
 住み始めて一週間後、ハイツングが故障してしまった。修理には十日ほどかかると言う
「屋根裏のおばあさんに、そのことを伝えて欲しい」と修理屋に言ったのに、どうやら、言わなかったらしい。
おばあさんは、私の姿を見る度に屋根裏の窓ガラスをコツコツと叩く。
「ツウ、カルト、ツウ、カルト」とわめく。
軽率な日本人が暖房を切ってしまったと思ったのだろう。寒そうに胸を抱いて、大げさな身ぶるいまでする。
私は陽の射している暖かい庭を指さして
「外へ出よ。陽にあたるよろし」と、必死のドイツ語で応える。
 日当たりのいい庭には、近所の飼い猫らしいのが、のんびりと寝そべっている。梨や林檎の花が咲き、くろなき鳥が、喉を震わせて、ジャーマン・オペラを歌っているのだから。
十日間の仁義なき抗争だった。

この言葉塩ひとつまみの躊躇なるスープの色は変はらざれども
ぼろぼろと千両の朱実こぼしゐつわが綺語失言もかくのごとしよ
扇とぢ舞ひ納めたるその始末浄きかな現世をはなれたまへり

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