踊り場の黄水仙

 冬雲が重く垂れこめたシカゴの街。朝、五時と言えばまだほの暗く、街灯がよそよそしい薄い光りを舗道に投げかけている。寒い、耳が凍てつくような朝であっても散歩をしている人影もあって、黒いラプラドールが走り寄ってくる。「リーブ・レデイ・アロン。」飼い主の鋭い声に、黒い夢魔のような犬は一瞬、立ち止まり、しぶしぶ引き返す。「構っちゃあかん」と言われたのね。
もともと、前世は犬であったと確信している私は、特に怖いとも迷惑とも思わないのだけれども、それでも、飼い主の気遣いに会釈して通りすぎる。其のころ、私は三ブロック離れた先のアパートで、ベビーシッターをしていたのだ。
 通りはかって富裕層が住んでいたというだけあって、百年前の重厚な石造りの建物が立ち並んでいる。その一画に私が必ず見上げる窓があった。二階の踊り場であろうか?揺れるカーテンの陰、テラコッタの茶色の壺に、溢れるように活けられたラッパ水仙がのぞいているのだ。
五月まではもう樹の緑も、花も見ることのない冬のシカゴの、そそけた無彩色の雪の世界。
そこだけが明るい春の光りにさんざめく黄水仙が見えるのだ。
「ああ、いつかお金持ちになったら、毎日のようにラッパズイセンを買って壺にいっぱい活けよう。」
私は固く心に決めながら、その窓を通りすぎる度に、黄水仙の溢れる壺を見上げた。その花を活けている、その家の婦人のことを懐かしく思った。
今、私の庵の近くには、足の踏み場もないほどに、まるで、菜の花のように、庭に黄水仙を咲かせている農家がある。それも一軒や二軒ではない。「芋粥」ではないけれど、私はその花群れを毎年、茫然と眺める。

幻想と妄想のあはひなれ記憶と追憶がほのかに湿度をあはせゆく
如月の束ねられたる梅の枝その反撥の香気の鋭き

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