カインド・オブ・ブルー
春になると、玄関の横の庭に、一輪だけ都忘れの花が咲く。
ある年に、
「あれ、これは都忘れだわ。何故、ここに咲いているのだろう?」
嬉しいような、訝しい思いで見つめた。なにか、自分の未来を予測されているような気がした。
その内に、春になると、「もうそろそろ、顔を出す頃かしら?」と期待するようになった。
毎年、ひっそりと一輪、律儀に顏を出す花をまるで、物語の姫のように懐かしく思ってきた。
都忘れとは、都を遠く離れて、野に暮らすうちに、すっかりひなびた様子に変わるということで命名されたという。
その花が都に移されると、(御簾の内に暮らすようになると、)色も薄紅に美しく優雅に変わることから、「御簾の内」と呼ばれるようになる。
同じ花でありながら、紫の色の推移で、名を二つ持つ花である。
この冬になにが起きたのか?今年、顏を出した花は二輪となり、しかも、色が淡い薄紅となり、「御簾の内」に変わってしまった。
都に行かなくても、泪の味を知ったのかもしれない。
ふと思いついたことだった
この春に幽明を異にしたともだちたちに、目につく限りの泪色の花を集めて、蒼い供花を作ろうと思った。
ローマ風ブルーの波がたの浅いガラスの器、そこに、ワイルド・ヒヤシンス、十二単、紫の野すみれ、忘れな草、私の心を挿してみた。
それは美しい蒼と水色と紫のグラデーションの器となった。悲の器
今日は春の嵐と呼ぼうか。満目の緑を荒々しく揺るがせて、強い風が吹き荒れている。 その風の音に、透き通ったトランペットの音色が挑んでいる。 マイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」。
もう、涙は流さない。
桐の花遠くに光りてあまのはらうすむらさきの思ひ出の欠落
桐の花思ひもかけずゆふかげの声の孤独に囲まるるよ
朝あさに鳥の記憶を点しつつ桐の花冷え冷えと咲き継ぎたり
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