あかねが淵から(25章C面竜と大蛇)

 歌唄いの白い尾はぬめぬめと光りながら、竜となったかいの首を容赦なく締めつけた。逆立った鱗はガラスの破片のように、固い竜の首に鋭く食い込んでいく。執拗に締め付ける大蛇の尾の力には少しの容赦もなかった。かいの頭には黒い闇が広がり、目の奧には青白い光線が無数に走り、ぶつかりあった。
「呼べ、名を呼ぶのじゃ」
黒い闇の中へと消えていこうとするかいの頭に、厳めしい声がした。かいは残っているとも思えなかった力を、振り絞って叫んだ。
もう、すでに力を失っていながら、なおもあらがっているかいの動きが、心地よく、歌唄いは満足そうにため息をついた。
「先生、歌唄いの先生、何かありましたかい?」
しきりに自分の名を呼ぶ声にふと気をとられた。返事をしようと身をよじったときに、わずかに、細い命の糸のように、甘い空気が、かいの喉もとに滑り込んだ。かいは、思い切り、息を吸いこみ、身体をふくらませた。大蛇のぎりぎりと締める力にかすかなゆるみがでてきた。最後の最後まで、息を吐ききった胸にどっと腐った息を満たした。
かいは鼻の穴を思いきりふくらませると、自分を締めつける巨大な尾に向かって吐きだした。濁った空気に含まれていたガスの力もあったのだろう。かいの噴き出した炎は強く、歌唄いの尾を焼き切らんばかりだった。
「なんと、なんと。竜が吐く炎に包まれてわが命を終えるとは、こは英雄の英雄たる最後。口おしや、この美しい最後を歌に残すことが出来ぬとは、、」
歌唄いは自分たちの戦いを見守っていた泥亀夫婦や、水辺の動物たちにむかって、ここぞとばかりに演説を始めた。
「さあ、これで私の言ったことを信じるであろう。森の詩人たちを焼き滅ぼし、あの可愛い歌姫をさらっていたのは、この禍々しき青き竜なるぞ。今や、姉妹の塔もあの智にさとき一族と名乗る、あかねが淵から追放された竜一族に占領されてしまったではないか?さあ。五山の精霊よ。水辺のいきものよ。ためらわず立ちあがれ。戦うのじゃ。我らが美しき言葉で崇め、清めていた姉妹の塔を滅ぼしてしまったのは、こ奴ら竜の一族なるぞ。二百年に一度というこの狼月の満月の夜を、われらと聖なるあかねが淵の盟約の証である神聖な祭りを台無しにしようと試みた奴らの狙いは、これを機にわれらを竜の支配下に置こうとしているのじゃ。みなさんや、この歌唄い、栄えある詩人の命の代償として、この竜をとらえよ。決して逃がしてはならんぞ。」
歌唄いは自分の滔々たる弁舌にすっかり酔って、長々と続けた。
「歌唄いの先生や、わしらは長い話はすかんのですじゃ。それにこの間の火事もこの竜がおこしたというのも、ちょっと合点がいかんのですわ。」
泥亀のだんなは首をすくめると大きな欠伸をした。どろ亀のおくさんは泪を浮かべて、歌唄いの演説を聞いていたが、咎めるように、泥亀のだんなを見た。
「やれやれ、もうあんたと来たら、こんなに勇敢に戦い、今わの際にまで、わたしらのことを心配してくれている歌唄いの先生の御心が判らないのかね。」
煙を上げてくすぶっている歌唄いの尾から、肉の焦げる匂いがしているのだ。かいの鼻からは、まだ炎がチロチロと出ていたが、、歌唄いに締めつけられた喉は、うろこに深く傷つけられていた。そこに白蛇特有の強い香料の匂のする毒があったらしく、頭が朦朧としていた。
力をつくした絡み合いで、疲れ切ったかいはやすやすと、最後の城の湖の傍に引きずり出された。弱った大きな竜を目のあたりにして、水辺の動物たちは興奮していた。くすくす笑いながら、、血を流しているかいの傷口の上でぴょんぴょん飛び跳ねたりした。
突然、激しく翼の鳴る音がした。
「カーカー、どうした?」
気を失いかけたかいの耳にりんの呼ぶ声がした。
「ああ、あのちっこい嬢さんの友達をさらっていったのがこの竜ですさ。ああ、これで判った。やっぱりやつらはけしからんやつらだ。。」
どろ亀の奧さんが悲鳴を上げた。
「ああ、竜の一族が向かってくる。」
かいをいたぶっていた動物たちが逃げ出した。(第25章C面終わる)

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