あかねが淵から(第22章竜笛が聞こえる)

 竜になりたてのかいは、まだ飛ぶことが出来なかった。必死で翼をふるわせているかいのそばに、りんは付き添っていた。かいの泳ぎ方は本来、竜に生まれたものなら、考えられないほどに不器用なものだった。りんは、頭上に重く垂れかかる雲を熱心に見上げるふりをしたり、背中に大人しくすわっているあらしを不意にゆすぶったりして、気を紛らわせていた。顔に浮かんでくる笑いを気付かれないようにしていたのだ。
かいも自分の不器用な動きを、りんが我慢していることに既に気が付いていた。落ち着かないりんの様子から、自分の動きにイライラしていると思っていたのだ。
(ごめん。どうやっても、飛びあがれないんだ。なにか固い土台になるものがないと、どうやって水の上に立っていいのかが判らない。歩くのがせい一杯なんだ。)
かいは言葉にだせない思いをりんにうったえた。
「歩くだと?水の上を?それでお前は、翼でそんなに水を叩いて、はねかえしているのか?歩くだと?」
りんはこらえかねていた笑いを一遍に吐きだした。めったに見せることのない竜の腹を大きく波打たせながら笑った。鼻から、線香花火のようなみかん色の火花が散った。
「お前なあ、根本的に何かが足りんなあ。もうすぐ姉妹の塔だが、お前のこんな無様な恰好を、白竜じいさまには見せられないなあ。じいさまは人一倍、恰好を大切にするからなあ。もっとも竜というのはみんな多少見栄っ張りだけどさ。よし、ちょっとけいこをつけてやる。」
りんは土をつけたまま流されてきた大木が、ひとかたまりになっている物陰に、かいを連れ込んだ
そこからだと、姉妹の塔から見られないですむ。

不意にあらしがうなり声をあげた
「しいっ、静かにしろ。アリ」
りんが翼を高くあげて、ゆうやみの水面に放たれた、あらしの唸り声を捉まえようとした。かいも驚いてすっかり様子の変わったあらしを見ている。

あらしが突然に水の中に飛び込んだ。そして、狂ったように姉妹の塔へと泳ぎだした。流れは緩やかに見えても、実際の流れは激しい。だが、あらしは、誰も止めることのできない何かに突き動かせられたように進んでいく。
  姉妹の塔から、一艘の舟が流れだしてきた。そして、その舟を送るように低く笛の音が吹き鳴らされた。哀れをさそうような暗い笛の音が、舟に付きまとうように流れてくる。
「竜笛だ。誰かが病なのか?」
りんが叫んだ。それから、はっとしたように、かいを見た。
「それとも死んだのか?」
そこまで聞かないうちに、かいがあらしの後を追った。
竜笛はひとしきり鳴りわたった後、すぐに止んだ。
姉妹の塔は何ごともなかったように、静まりかえっている。
 りんが意を決したように、無様に泳ぐかいとあらしを抜いて、高く草に囲まれた舟にたどり着いた。速い流れに乗ろうとしている舟の道を防せぎながら、必死で近づくかいとあらしに向かって、声を張り上げた。
「いいか良く聞け。竜は死や病に汚れたものには触らないのだ。この舟の主が誰なのかは分からないが、姉妹の塔に入りたいのなら、お前はこの舟に触ることはできない。よく考えてきめろ。だが、、ものの道理が判らない、本能だけの獣なら、それも許されよう。アリは触ってもいいぞ。それで、望むなら、お前はこの舟と一緒に流れていってもいぞ。」
りんの声には強い力がこもっていた。かいは一瞬、りんとにらみあった。
「お前は本当にお前の使命を全うする気があるのか?たとえこの舟の主がお前の母だとしても、今のお前の行動にはなんの意味もないぞ」
突然、高く積まれた草の中から、一本の杖が付きだされた。りんがゆっくりと舟の傍を離れた。舟が速い流れにのって、みるみる流されてゆく。

かいは無言で舟を見送った。あらしがかいの背中によじ登った。
「さあ、姉妹の塔へ入るぞ。」りんが明るい声でいった。
「さあ、おれが支えてやるから、ここからは飛んでいけ。」

姉妹の塔の屋上から、りんとかいの様子を見守る白竜の姿があった。
そして、湖の岸辺からも遠くこのいきさつを眺める銅色の狼の姿があった。
(第22章終わる)

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