お絵描き3年目にあたっての雑文

はじめに

どうも皆様こんにちは。無人でございます。
2023年も半分が過ぎ、また一段と暑くなってきましたね。水分や塩分補給を怠らぬよう注意したいものです。
さて、私がイラストを描き始めたのもちょうど暑い夏の時期、今から3年前の2020年の8月でした。正確に言えば、それよりも少し前にマウスを使ってよれよれの線でらくがきめいたものを描いていたり、アナログの色鉛筆でコピー用紙に描き殴っていたことはありましたが、「キャラクターの絵を描けるようになろう」と思い立ち、板タブを購入し絵を描き始めたのが3年前ということになります。
あれからもう3年経ったのかと時の流れに驚くのはまぁ一旦置いておいて、この3年間で私のイラストはどのように変化し、そして今どんなことを思うのか、それを書いて行こうと思います。あんまりおもしろいモノではないかもしれませんが(予防線)。イクゾー

最古の板タブイラスト


現状残っている最古のペンタブ使用イラスト

はい、これが3年前に描いた現状もっとも古いイラストになります。現状、というのは一度PCのデータが吹っ飛んだことがあり、ネット上にあげていた中で一番古いのがこれだから、という訳です。
今見てみると、本人的にはまぁなんとも「あぁ…そう」という感じの出来栄えですが、これでも当時は「俺、絵うまいかもしれん」とか思っていたのです。
プリチャンの金森まりあちゃんを最初に描き、そしてなぜスク水で素足に上履きなのか、もう全く覚えておらず当時の自分は何を考えていたのかさっぱりですが、楽しかったんでしょうね。現在最新の絵が「スク水ランドセルの桃山ひかりちゃん」である事を考えると、あんまり思考が変わってないのかもしれません。

でも、この楽しいという感覚があってかつ、“俺、絵うまいかもしれん”という勘違い、もっと言えば世間知らずのズレた目があったから今まで続けられているのかもしれません。
個人的に、これは結構大事な感覚だと思っていて。だって世の中に絵を描く人って驚くほどいるんですよ。私は絵を描き始めてからより強く実感しましたが、絵を描く人・描いたものをネットにアップしている人って数えきれないほど居て、そして自分より遥かに上手くて手の届かない画力を持つ人ってそらもう、めっっちゃ居るんですよね。3年坊主が何を言っとるんだという感じですが、これだけ一流の方々のイラストをSNSを通じて秒で流し見れるような時代に居ると、「俺はこんな下手な絵をなんでアップしているんだろう」と思う瞬間って、来るんですよ。
で、「どうせ上手くなれん、こうはなれん」といじけてしまうわけです。
だったら下手でもいいから、「俺うまい」と勘違いしたまま続けてた方がいい気がするんです。続けるかやめるかがそこで別れてしまうなら、勘違いしたままでいいんじゃないでしょうか。多分ですけど、世の中の上手い人たちってそうやって上達していってるんじゃないかなぁと思ったりもするわけです。

3年分の勘違い結果

私の絵は変わったかもしれないし、今も大して変わってないかもしれません(どっちだよ)
“あの頃よりマシにはなったかな”とは思いますし、比べてみて「上達したな~」とニヤけることもありますが、でもやっぱりどこかで「上手くなれん」とも思ってしまう。最近はその「勘違い力」が減ってきている気がします…。
もっともっと勘違いして、「俺は絵が上手い」と楽しく続けられると良いんですが。

「推し」の存在

それと同時にですね。
絵を続けられた超絶重要な要素として、さっきもちょろっと出しましたが、原作タカラトミーアーツ、シンソフィアの女児向けアニメ「キラッとプリ☆チャン」の存在があるのです。
私のTwitterのフォロワーの方ならもはや説明いらないとは思いますが、私の描いた絵の半分以上はこのプリチャンのキャラクターなんですね。
つまり、プリチャンと一緒に絵を描いてきたと言っても過言ではないかもしれ…過言かな。3年前というのも、プリチャンの放送時期と被っていて当時の物語は3期のお話でしたね。
私は正直もうプリチャンのキャラはみんな好きなんですが、特に主人公:桃山みらいちゃんと、そのお友達の虹ノ咲だいあちゃんが所謂「推し」に当たるのかなと思っています。私がpixivにアップしているイラスト335件のうち、現在219件に「プリ☆チャン」のタグが付いているのですが、さらにその中で84件に桃山みらい、64件に虹ノ咲だいあのタグが付くという比重を踏まえると、そう言って差し支えないのかなと。
んで、この「推し」…砕けて言うと「好きなキャラ」を可愛くかけるようになりたい!というのが、お絵描きの原動力でもあったんですね。
でも、ただ可愛くかけるようになりたい!だけでは、当たり前ですが可愛く描けるようにはならなかったんですよ。
イラストは「センス、才能」と捉える方もいらっしゃいますが、私は実はあんまりそうは思ってません。顔が可愛く見える、人の脳がそう認識するということには、そこにロジックが存在するはずで。それに沿った練習を積み重ねないと、キャラクターって可愛くならないと思ってるんです。きっと絵が上手い人たちってみんな、そういうロジックマスターなんじゃないかなぁ…と。
なので私は、みらいちゃんや虹ノ咲さんを可愛く描くためには、そういうロジック「絵が可愛くなる理論」を学ばなければいけないと考えたわけです。
しかし。学生時代をテキトーに過ごしていた私にとって、勉強ってやっぱ辛いんですね。地道な作業だし分からないことばかりだし。
そういう時に、「これは推しのためだ」と思うと頑張れた。みらいちゃんたちにとっては、完全なる私からの押し付けでしかないんですが、勝手にそう思う事にして、一個一個をなんとかしようという気持ちになれたのです。

2021年
2023年

可愛くなったの…かなぁ?
まぁでも、好きなキャラクターを絵を続ける原動力にする、という感覚はこれからも大事にしていきたいですね。

可愛くなる理論

じゃあ「可愛くなる理論」ってなんだよ、って話ですが。
私は単純にデッサンを正しく描くとか、顔のパーツの位置は少しずらすだけで印象が大幅に変わるとか、そういう法則を少しづつ理解していく、という過程なんじゃないかなぁと思っています。
変えたところでいうと、例えば髪を描く時の順番です。最初に髪を描いて、そのあとで顔の輪郭をプラスする…のではなく。まずは丸坊主の頭のベースを描き、その上に髪を「前髪・横の髪・後ろの髪」と三分割して描く。
今となっては「んな当たり前なことを」と言われてしまいそうですが、当時の私にとってはこれが「可愛くなる理論」のひとつだったんですね。
眼の位置はキャラクター像を意識して配置する、上に置けば大人っぽく、下に置けば子供っぽく…みたいな。そういう感覚をちょっとずつ理解していくというのが、私にとっての絵の勉強でした。それは今も変わらず。
そして足りないものを探し続けるのも、「可愛くなる理論」かなと。
今も自分はド下手で足りないものだらけで、手探りで描いている最中です。「可愛くなる理論」に終わりはないのかもしれません。
そして、こういった認識を持てるようになったきっかけとして、youtubeのさいとうなおき先生の動画講座があったことは書いておきます。ありがとうございます。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。中身のない話ばかりだったり予防線張りまくったりした気もしますが…。
最近は有償でのご依頼も沢山いただけるようになり、とても嬉しく、そして驚いています。やはり求められるというのは素直に嬉しいです。ありがとうございます。
今後も楽しく絵を続けられたらいいなぁと思っています。上手くなることも大事ですが、人間、楽しめないものは続かないですからね。
最後にいつも私の絵に反応を下さる皆様に感謝を。

では!


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