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おばあちゃんの鉱石博物館《怪談キキかじり②》

 これは久しぶりに会った後輩のSちゃんに聞いた話である。

 Sちゃん、最近、大好きなおばあさんを亡くされたそうだ。
 89歳ながら大病もなくピンピンしていて、後10年は余裕で生きるだろうと皆が安心していた矢先の、急性心不全での突然死だった。
 周りからは「大往生だったね」と口々に言われたが、あまりの急な別れにとてもそんな風には思えず、静かに棺に眠る祖母の顔を見ては、まだまだ長生きして欲しかったと涙が溢れるばかりだったという。

 葬儀も済み、少しばかり心も落ち着きを取り戻してきた頃、遺品の整理にふたたび祖母の家へ親戚が集まる機会があった。
 美しい筆致で丁寧に書き記された日記や古いアルバムに入った白黒写真を皆で眺めながら、時に笑い、時に目頭を熱くしながら語り合う。祖母の知らなかった一面や先に逝った祖父への想いを垣間見て、ああ、どうして生きている間にもっと色んな事を話したり、共に過ごす時間を持っておかなかったのだろう、とSちゃんは思わずにはいられなかった。
 少し一人になりたくて適当な理由をつけてリビングの輪から離れ、祖母の寝室へ向かった。まだそこは彼女が生前使っていたままの状態が保たれており、特有の湿気たような匂いが今は懐かしく心地よい。
 ベッドに座って、祖母と共に過ごした時間を反芻していると、ふと、思い出した事があった。

 幼い頃、暑い陽射しが麦わら帽子の隙間から差し込んでいたから、おそらく夏のことだったのだろう。祖母に手を引かれて、鉱石の博物館に行った事があった。
 特に電車などに乗らず歩いて向かったので、おそらく家の近所だったのだろう。裏道で向かったのか草がぼうぼう生えた道を抜けると現れたのが、こじんまりとした瀟洒な洋館風の建物だった。今思うと個人経営の、小さな博物館と言っていいのか悩むような施設だったかもしれない。
 扉を開けると、中は壁中棚で埋め尽くされていて、大小様々な鉱石標本が虹色に煌めいていた。

 無骨な石の塊に包まれて紫色に粒立って輝くアメジスト。
サラサラの手触りの石灰岩。
太古の昔の生き物の息吹を閉じ込めた琥珀。
古代の人が勾玉にして身につけた翡翠。
チョコチップアイスみたいと言ったら大笑いされた花崗岩。
ほんのり桜色に染まったようなローズクォーツ。
燃やすとパチンと光る蛍石。
黒曜石の割れ目の美しい輝きに見惚れていると、「Sちゃん、これはね、綺麗だけど、触ったら手が切れちゃうのよ?」といたずらっぽく笑う祖母の顔は、ぼやけて光に透けてはっきりと思い出せない。
 Sちゃんのお気に入りは宮沢賢治の本に出てきたラピスラズリだったという。幾重にも蒼、青、翠、碧、藍が層になって、黄鉄鉱の粒が星のように散って、夜空のように美しい。

「ラピスラズリ、欲しいなぁ」

標本をじっと見つめて思わず呟いたSちゃんに

「大きくなったら、あげようねぇ」

とにっこりおばあさんは笑ったという。
その後も何度か博物館に連れ立って通った覚えがある。
二人だけの特別な時間。
目の奥が熱くなる。
どうして今まで忘れていたのだろう。

 Sさん、懐かしさでいっぱいになって、すぐにでもあの鉱石博物館を訪ねたくなって、急いで別部屋の納戸を片付ける母の元へ行って尋ねた。

「あのさ、昔、私おばあちゃんに近所の鉱石か岩石の専門の博物館みたいなのに連れていってもらったよね?あれってまだある?」
「え?なにそれ?」

 怪訝な顔をする母に、当時の思い出や博物館の詳細を記憶の限り説明する。だが、そんな施設は近所にないし、そもそも、赤子の時ならいざ知らず、歩けるようになってから祖母一人にSちゃんを預けた記憶もないという。
 そんなはずはないとムキになって食い下がるのだが、
「はい!もういいから一番下の引き出し開けるの手伝って!ここだけなんか妙に重いのよねぇ」
これ幸いと片付け要員にされてしまった。
渋々母と力を合わせて引き出しを引く。ずずずという音と共に埃が舞う。覗き込むと、引き出しの中には綺麗に整理された鉱石標本箱がみっしりと詰まっていた。

「ああ…!懐かしい!そうそう、たしかに、おばあちゃんね、昔は石の標本集めるの好きだったのよ。あんたも小さい頃良く見せてもらってたでしょぉ。
そうかぁ、歳取って、引き出し開けるのも一苦労で仕舞い込んでたのねぇ…」

 言ってくれれば取り出したのに、そういうの全然言わないんだから、と目頭を押さえる母の横で、Sちゃんは標本箱をじっと眺めていた。
 アメジスト、石灰岩、琥珀、翡翠、花崗岩、ローズクォーツ、蛍石、黒曜石…他にも様々な鉱石が木の箱の中で静かに輝いている。そして、

「ラピスラズリ」

 拾い上げたその青色の石は、博物館で見た記憶の中の標本よりもはるかに小さく、ちょこんとSちゃんの手のひらに収まった。

 この標本箱の鉱石を一つ一つ見ながら祖母があんまり楽しそうに解説してくれるものだから、まぼろしの博物館を頭の中で作りあげていたのだろうか。
そう思って何度も思い返してみるのだが、記憶の中にあるのは標本箱を共に見た思い出ではなく、鉱石博物館を祖母に手を引かれて巡ったあの日の情景ばかりなのだ。
 後日インターネットで調べてみても、そんな博物館が祖母の家の近所に存在したという記録は、やはり、見つからなかった。

「おばあちゃんはあの博物館で私がいつか来るのを待ってくれてるんじゃないかなって思うんです。」

 そう言って微笑むSちゃんの胸元には、ペンダントに加工された、あのラピスラズリが光っていた。
 おばあさんの「小さな鉱石博物館」は、今はSちゃんの部屋で大切に保管されているという。


 2回目にして、恐いお話というより不思議なほっこりするお話をお送りしました。
怪談最恐戦はやっぱり恐いお話を出さなければという意識があり、なかなかこういうお話をできなかったので、こちらで語らせて頂きました^ ^

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