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えにっき 担当:はおまりこ

人に話したら笑われそうな、それでも、今も時折蘇っては胸を締め付けられる記憶がある。

小学校低学年の頃だったと思う。
自宅でピアノ教室を営む先生のマンションから、レッスン後の帰り道。
あたりは暮れかかり、オレンジ色の光に満ちていた。
マンション前の急な坂道を、母に手を引かれながらゆっくり下っていく。滑り止めの為らしい坂一面の円状のくぼみは逆に幼児には歩きづらく、つまずかないよう自然足元ばかりを見つめる格好となっていた。
オレンジに染まった◯が、自分の小さな靴の下を一つまた一つと通り過ぎていく。
ぼうっとそれに見入っていると、坂の途中にある角を曲がった所で唐突に、

「あのね、まりちゃんにプレゼントがあるの!」

我慢しきれなくなったとでもいうような上ずった母の声が降ってきた。
え、と小さく声を漏らして見上げると、
「なんだと思う?まりちゃんがすっごく欲しがってたもの」
母の嬉しそうな声と表情にムクムクと興奮が湧き上がる。
誕生日でも特別な日でもないのになんだろう、こんな事ってあるんだと、
世界が輝くようだった。

***

「さぞや甘やかされ放題で何でも買ってもらえたんでしょう?」
出身や一人っ子である事を話すと、冗談めかしてそんな風によく言われる。
だが両親、特に母は、実に倹約家で現実主義な人間だった。
将来に役立つ必需品や勉強にはしっかりとコストを掛けるが、遊びについては最小限で無駄遣いを決してしなかった。

例えば、おもちゃは同一用途のもの一種類まで。
どういうことかというと「セーラームーンのステッキが欲しい」と言っても、「昔買ってあげたサリーちゃんのステッキがあるでしょ」と言われる。サリーちゃんは何年も前の、とっくに終わったアニメなのだが、そんな事は彼女にとって関係ない。
一度それを良しとすれば際限がなくなるし、一緒に遊ぶ兄弟も居ない。そして、どうせ大きくなるとすぐ使わなくなる。だから一つで十分。
大人になれば成程たしかにと思う所もあれど、見事なまでの容赦なき現実主義である。
勿論、ゲームなんてもっての外。中学時代に奇跡的に福引でゲーム機を当てるまで友人の家で遊ばせてもらうしかなく、当時流行りだったポケモンカードも級友の要らない被りカードをもらってちまちまと集めていた。
流行りのゲームやおもちゃで遊べる兄弟持ちの友人が心底羨ましかった。

そんな私が、絵を描く事、本・漫画を読む事が趣味になるのは自明であった。なにせ絵は紙さえあればタダ、本・漫画も図書館に行けばタダ、そして何より一人で延々と楽しめる。
というわけで、母の自転車の後部座席に乗せられてよく図書館に通った。

幼い私の最初のお気に入りは『くまのビーディーくん』という絵本だった。
何度も返却しては借り返却しては借り、ほとんど専有するような借り方を繰り返して、それでも自分の手元に置きたくて、ついには全ページの絵と文字を模写した。
母はそんな姿を見て「もう、本当にその本が好きなのねえ」と笑った。

少し大きくなって小学校に入ると、興味は絵本から移り、何度も借りる対象は本や漫画に変わっていった。
そんなお気に入りの内のひとつが漫画『みかん・絵日記』だった。
『みかん・絵日記』は人語を操る猫・みかんを主人公吐夢が拾ってきたことから始まる心温まるホームドラマだ。みかんが絵日記を描いて日々を記録することからそのタイトルがついている。
しゃべれる猫が居たらいいのに、そんな猫と暮らせたらいいのに、と、アニメの録画を何度も見返し、借りてきた漫画を何度も読み返していた。

母が冒頭のセリフを言ったのは、ちょうどその頃だった。

***

「プレゼントがあるの!」

その言葉に、記念日以外にプレゼントを貰えるなんて夢にも思わなかった私は心底驚いた。
そんな事があっていいのだろうか。冗談なんじゃないのか。
でも、母のキラキラと輝く見たこともないような嬉しそうな笑顔に期待せざるを得なかった。
なんだろう、ずっと欲しかったゲーム機だろうか、なんだろうなんだろう…
心臓が早鐘を打つ。
「はい!」と眼の前に差し出されたのは紙袋だった。
あれ、そんなに大きくないな。そっと受けとり、封を開ける。
中から現れたのは、

「絵日記だよ!みかんちゃんと一緒の。まりちゃん欲しがってたでしょ?」満面の笑み。

その瞬間の感情の奔流を私は一生忘れないだろう。
膨れ上がりすぎていた期待が反比例するように、端的に言うとものすごく「がっかり」してしまったのだ。自分でも驚くほど壮絶に。
そして、それと同時に、こんなにも嬉しそうに絵日記を買ってきてくれた母に対して、期待通りに喜べず「がっかり」してしまった事への罪悪感に胸を引き裂かれた。
きっと、いつもの文房具店に寄ったときに、たまたま絵日記を見かけたんだろう。その瞬間笑顔になって、それを私にプレゼントすることを思いついてくれたんだろう。そして、私を迎えに来る道中、坂道を下る間も、いつ渡そうとずっとワクワクしていたんだろう。
見ていないはずの光景が頭をぐるぐると巡り、母の笑顔が脳裏に焼き付く。どうして自分は心の底から自然に喜べなかったのだ、喜ぶことができたら二人とも幸せだったのに。
本や漫画では、人が人を思い合えば、その先には温かな感情がいつも待っていた。母が私を想ってくれて、私もその想いに感謝しているのに、
どうしてこんなに、胸が痛いのだろう。
知らない感情に、後悔に、吐き気がした。
こんな感情は決して知られてはいけない。絶対に隠し通さなければ。

「わーい、絵日記だ」

喜んで見せたその演技が上手くいっていたかは分からない。
こんな嘘、とっくに見抜かれているのではないか。
そう思うと母の顔をまともに見れなくて、
嬉しくて夢中で眺め回しているふりをして、
西日に照らされた「えにっき」という文字を見続けた。


絵日記は2日ほど描いた後、三日坊主を待たずに白紙になってしまった。
それを見た母が
「もう、すぐ飽きちゃうんだから」
と笑った。

***

今思い返しても、ただのほんの些細なすれ違いによる、笑ってしまうような「事故」だ。それが今でも忘れられない記憶だなんてお気楽だなぁ、これだから一人っ子は、と自分でも思う。
それでも。
幼い身体を通りぬけていったあの日の数多の感情を、
これからも私は時折思い出しては噛みしめるだろう。


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