見出し画像

#14 始末

別に誰かを懲らしめる訳じゃないですよ(笑)文字どおり、始末っていう言葉には「始まりから終わりまで」って意味があります。今回は、ある物事が終わりにむかっていく時のお話。

始末について、拾い上げたい点があります。それは、物事を締めくくる際の主体性というか。終わりに対する「自ずから」感です。

誰かや何かが連れてきた終わりではなく、偶発的にやってきた別れでもなく、自分から何かを閉じる方へとむかうニュアンス。そんな姿勢が、透けてみえる気がするんです。

そして、それって結構な痛みも伴う。

大切な誰かとのお別れとか、思い出のモノを処分とか、関わってきたプロジェクトが手を離れるとか…etc。そういうのって、やっぱり名残惜しいし、言葉の追いつかない感情が渦まくこともある。選択が正しかったのか否かも未だにわからない。

それでも、他を理由とせずに、自分で決めて断つ。そう、始末には「決断」もまた織り込まれている気配です。

ちゃんと痛みを引き受けて決断した後って、ほどよく追い風が吹きます。肌感覚ながら、最近そういうことがあって。再認識した次第です。「(痛いのもまぁ解るけど)、ぼちぼちやっていきなさいよ」って。優しくも厳しくもない、応援も反対もない、とってもフェアな追い風。

久しぶりに、それが身体を抜けて心地良かった。もちろん痛みもありましたが、それも含めて、もう長らく忘れていたのかもしれません。

今後は「決断」の場面をテキトーにやり過ごすことなく「始末」せねばと、帯を締め直しました。始末という営みから遠退くと、痛みや決断についての感覚が鈍くなる気がする。それは、避けたいので。

付言ですが、今回初めて自分で画像をこしらえました。ここまで、ある仕事を共にしてきた革靴です。お疲れさまでした。これも、一つの始末。

ではでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?