わたしの存在は疎ましい

いつも元気で明るくてアクティブ、前向きで人と関わるのが好きで
やりたいことはパっとやれて、いつも楽しそう

私はそういう人だと思う

自分ではそんな自分が好きで、気に入ってる


うまくいっている時は、仲が良くて、私ともっと一緒にいたい、話をしたいって、たぶん思うんだろうなと思う

でも最近立て続けに、仲の良かった友達2人が、生活が変わったというか、ちょっとしんどそうというか、参っている様子で・・・


「何か力になれないかな」と思うから、友達が興味をもちそうなことに誘ってみたり、いつでも電話してね、て言ったんだけど、なんだか低空飛行のようで、つれない2人


寂しい


かといって、無理させることなんてしたくないし
2人には2人の「立ち上がる力」があるって思うから
信じて待つ、なんだろうなと思う


その一方で


思わなくてもいいことを、思ってしまう


「私の存在は疎ましいのではないか?」


邪魔なのでは?
要らない存在なのでは?
あっち行け、関わるなって思われてるのでは?


もし、そうだったとして、じゃぁどうなんだ?


私は私として、私の人生を歩み
彼女たちは彼女たちとして、彼女たちの人生を歩み

その人生が交錯するときもあれば、しないときもある

ただそういう、流れがあるだけなのに


自分の中になにか滞っているものが溶けだすかのように
嗚咽しながら泣きながら、いま自分の感情を吐き出している


私の存在は、邪魔なのでは?疎ましいのでは?要らないのでは?


こんな風な感覚、過去にもあった気がする


妹が生まれた時??

長女として、一心に親の愛情を受けてきた私が、その座を妹に取られたって思ったような記憶が、あるようなないような・・・


でも、まだ3歳とかで、自分の感情を言葉にもできなかっただろうし
それに、「やだやだ!私のママだもん!」とか、言った記憶ない。


言っちゃいけないような
言ったらもっと、妹に取られちゃう、もう2度と、私は愛してもらえなくなる。


幼いながらにそんな危機感を抱き、押し黙ってやり過ごした記憶がある。


そこからいつだって私は「大丈夫」ってフリをするようになった。

なぜか「この子は大丈夫」って母を安心させることが、自分の使命のような、そのことが、母の愛情を私に戻す唯一の方法のような、気がしてたんだと思う。


母が大変だから、私はいい子にしてるから。


そこに、自分の存在価値を見出した。


私は大丈夫な子。自分でなんでもできるよ。だからお母さんは、妹のこと見てあげてね。妹はちっちゃくて、ちゃんと見ててあげないとだめな存在だから。私は大きいから、大丈夫なの。だから安心してね。


いまこうして書いていると、それは表面的には親思いの優しい言葉たちのようでいて、その実、悲痛な叫びが、深い深い見えないところにひっそりと佇んでいて、「本当は気づいてほしい」「私は大丈夫じゃない」と、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな小さな声なき声を発し続けていた。


お友達2人が、私に「大丈夫じゃない」という様子を見せたとき
私は彼女たちとの間に隔たりを感じた
私は大丈夫で、彼女たちは大丈夫じゃない、と。


だけどそうじゃなかったのだ。
その隔たりの感覚になんだかすっきりしないものを感じて、なんなのかな、そこに何があるのかなって覗いていったら

ちゃんと、あったじゃないか、自分にも。
全然、大丈夫なんかじゃない自分が。
「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫」「私は大丈夫」
そうやって、大丈夫じゃない時も、「大丈夫」っていう言葉を自分自身にぎゅうぎゅうに幾度となく押し付けてきた過去が。


こういうことを書くと、心配されるのではないかと思って
(やっぱり、「私は大丈夫」を言いたくて)
避けてきた


だけど、陰陽の、陽のことばかりをクローズアップしてたら
心はアップアップしてくるよ。

知識としては、それは知ってた。

でも感覚でも、感じるようになってきた。


だから最近やたらと「闇会やりたい」と言ってたんだな(笑)


今はまだ、陰の感情・負の感情は、居心地が悪いし、正直あまり感じたくないもののままだ。

だけどそれは、誰もが持ち合わせているもの。
隠せば隠すほど、それが重くなっていく。

気づくこと=光をあてること

そうすることで、昇華していく


でもじゃぁ、陽の感情なら、そういうことしなくていいのかって言ったらそうじゃなくて

最近知ったけど、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」ていうことを感じたとして、それもずっと握りしめて味わい続けるものではない、ということ

全ての感情は、陰であれ陽であれ、等しく、ただあるもの。

陰だけを忌み嫌う、ないことにする、は流れを阻む、不自然なこと。


その時その時で、湧いたものを、ただあるがままに、しておく。
その感情に没頭して溺れるのではなく、その感情を感じている自分がいることに、気づいておくこと

そうすれば、ただすべては過ぎ去っていく


あるがままにせず、押し込めたものは、こうして時おり、その存在を現すのだろう。そのときは、ただ「そっか、そうなんだな」で終わり。それだけ。


ふう。
大丈夫じゃない自分、をちゃんと認識したら、
大丈夫になった・・・パラドックスやな😁




自分の心の裏の裏を、今までの人生の懺悔などを含めてオープンにしたくて書いてます。無料で誰にでも公開するには躊躇する内容なので、有料記事にしています。心から興味を持ってくださった方だけに届けるエッセイを書いていきます。サポートしていただけたら嬉しいです🍀