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マクドナルドと少しのイヤ感

コーヒーがきれたのだけど、道向こうにマックあるので、朝のコーヒーを買いに行った。

そういえば、先日新聞記事に、スタバがプラスチックのフタをやめると書いてあった。私は、あのフタ、あまり好きじゃないし、それこそ一回しか使わないし、他の用途もないので、いいニュースだと思ったんだった。

ストローにしても、プラスチックの袋にしても、だんだん使用しない方向に、日本の社会も動いている。欧米に比べたらスタートは遅くても、大きなうねりのようなものを感じる。日本には丁寧に取り組む人たちがたくさんいるように思うから、きっとしっかりプラスチック削減を進めていくんだろう。

まあ、そんなことを偉そうに考えたのは数日前。今朝のわたしは頭の中も見た目もボサボサで、何も考えない。ぼーっとしていたら、番号が呼ばれた。コーヒー。

お姉さんが笑顔でビニール袋を渡すから、一瞬戸惑った。コーヒーが小さいビニール袋に入っている。クリームが乗っけてある。マドラーと砂糖も入っている。もう持ち帰るだけになっている。

私は、この、全部やってあげました感が嫌いで、コーヒーを頼んだらコーヒーだけがほしい。それ以外のあれこれがついてくる、そういう先回りした日本的サービスが苦手なのもあり、「袋いらないんですけど、砂糖もクリームも」と言いそうになった。でも言わなかった。言わなかったけれど、なんか少しイヤ感が残った。それが顔に出ていたんだろうな、そしてそんな顔でお店を出たんだろうな。

そういえば、先日来たときは、「ミルク使いますか?」「そのままでお出ししていいですか」と聞いてくれた。それで、ただコーヒーを単体でいただいてきた。それを勝手に想定していたんだな。

考えてみれば、今は朝。すごい行列というわけじゃないが、他にも人はいて、対応しないといけないんだよね。一人ひとりの、あれこれのこだわりよりも、「持ち帰り」って言うなら持ち帰りやすい形にした商品を1秒でも早くお渡し、というのが使命なんだな。それは納得する。それに、そもそもお姉さんは、「環境に悪かれ!」と怨念を込めてコーヒーを用意しているわけじゃないものね。

だいたい、私もいただいたモノは、そのまま捨てはしない。カップは洗って生ゴミ入れにしたり油処理に使ったりするし、小さいビニールは洗濯機脇のゴミ箱代わりに使う。砂糖やクリームは調味料に使えたりするし、マドラーも何かの役に立つ。

ただ、要らないものは要らない。欲しい物だけ欲しい。それ以外が付いてくることは、ラッキーとは思わないし、むしろ負担に感じる。これは前々からで、口に出すこともある。それがしやすくはなっている。環境負担、持続可能な……というのが共通語になっているから。

だけど、そうすると、もう一つ気になってくる。じゃあ、全部揃えるお姉さんにクレームつけるのか。ここぞとばかりに、説教垂れる客ってあちこちにいると思うが、あれは主義主張ではなく単にお姉さんが自分に謝る姿を見て満足したいという欲の現れ、ですよね。それはそれで嫌だな。

そもそもエシカル何とか、というのも、「自分はあなたがたより」というのが前につきがちで危うい。自分はあなたがたより正しいんです、自分はあなたがたより良いんです、と。相手に苦い思いをさせることで得られる気持ちよさがあるでしょ、それを認めないと共に社会を動かすなんて、高尚なことムリだから。いろいろな人を踏みつけにして自分が気持ちいい、そんな格差を自分ら生んでるよね……これを認めるのは苦々しい。でも、認めないと別の視点からみないといけない気がする。難しい。

まずは、プラスチックのフタで、全く別の何かができないか考えて見ようと思う。排水口にうまくはめられてゴミ集めに使えるとか、百個集めたら傘立てになる、とか、なんかあればいいのにな。


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