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clubhouseで「capoeirax何とか」という実験③:capoeira x おいしい粉 / capoeira x high quality flour

clubhouseでカポエイラと、カポエイラとは全く関係ない何かを無理やりかけ合わせたら、カポエイラの何か興味深い一面に光があたったり、思わぬ共通点を楽しめるひとときになったり、ステキな出会いにつながったりするのではないかというTOSHIさんのアイデア💡より始まったcapoeira x 何かroom、第三弾はこの、怪しげなタイトル(当初の予定ではcapoeira x おいしい白い粉)。2月4日に開催しました。

「カポエイラ」っていうナゾの何かが大変楽しいらしいよね、ハマる人は超ハマる。そういえばおいしい「白い粉」、これもハマっちゃうよね…… いえいえ、そういう話ではなく。

「白い粉」とはもちろん「小麦粉」のこと。カポエイラと小麦粉。さて、共通点はあるのでしょうか。

今回トークに来てくださったのは、NORIさん a.k.a. 自炊おじさん👨です。自炊おじさんは大手の粉会社におつとめの、粉をこよなく愛し、粉を熱く語る小麦粉マイスターです。

日本においては、主食と言ったらまずお米。小麦粉ってなんとなく新しいもの、外来のものというイメージがある気がします。あ、だから、「海外のものが日本にやってきてどう展開したか、どう展開していくか」というお話にするなら、なんだかカポエイラと小麦粉を同時に語れる気がしますよ。…と、思っていたら、なんと日本の小麦栽培は弥生時代には始まっていたんですって!

えー!

なんなら米より早かったかも。だって田んぼで稲育てるより栽培しやすいし、ですって!

えー!

そもそも人類が初めて栽培したのは小麦ですよ。ざっと1万年前って。

えーー!!

自炊おじさんによると、小麦の栽培って貯蔵できる、つまり安定的に確保できる食料をゲットしたことを意味していて、人類の歴史における大きな大きな変革だったのだそうです。それは、紀元前3千年頃に、小麦を臼(うす)で粉にする技術ができたから、つまり小麦粉が誕生したからなのですね。粉という状態にすることにより、圧倒的にながーく保存できるようになったうえ、水分を加えてこねればグルテンができるので、加工の可能性がぐんっと広がったのだそうです。

ちなみに、小麦粉には、強力粉、中力粉、薄力粉がありますが、あれはグルテンの含有量の違いなのだそうです。グルテンが多いと強力粉。少ないと薄力粉。この差は、原料となる小麦の種類でだいたい決まるんですって。日本では薄力粉がダントツ一般的。うどんやお好み焼きなど、加工を必要とする料理には強力粉や中力粉を使いますが、例えばクッキーなんかには日本では薄力粉を使うことが一般的で、そのためサクサク食感が特徴的だそうです。一方、欧米ではパン作りに強力粉を使用することもあり、強い粉を使うのですって。そういえばクッキーやビスケット的なお菓子の食感ももっとどっしりしている気がします。

とはいえ、小麦粉といえばパン、日本でパンを食べるようになったのは近代以降、わりと最近なのではないでしょうか。実は、日本でパンが普及したきっかけの一つは、富山の米騒動だったのだそうです。米がないならパンをお食べ、的なね。自炊おじさんいわく、食文化が変わる時って食べ物がないという切実な外的要因が作用したりする。で、そのもう一つの典型例として戦後、GHQが供給した小麦粉=アメリカから来た粉=「メリケン粉」の普及があるよね、ということも話してくれました。

さてさて、小麦粉、そして粉という状態で保存可能になってきたさまざまな食材。保存がきくということは、貧しい人も入手しやすい食料だったりするわけで、アフロブラジリアンな食文化にも重要アイテムだったりします。フェイジョアーダ(ブタの安価な部位と豆の煮込み料理)にかけるキャッサバも粉状ですね。

さらには小麦粉を使ったコシーニャcoxinha(しずく型をした鶏肉入りコロッケ)やパステウpastel(いろんな食材を生地で包んで揚げたもの)もブラジルのストリートフードとして欠かせません。小麦粉は当然のごとくカポエイラを育んできた文化の食を支えてきたわけです。こんな話を聞いて思い出すのは、私がロンドンにいたときに別のグループで教えていた先生。ずばりアペリード(カポエイラで使われるニックネーム)がパステウPastelでした。その名前の由来は、子どものころ貧しくて、浜辺でパステウを売って歩いていたことにあったみたいです。その生活から抜け出すために必死で鍛錬してカポエリスタになって、国を出て活躍するという、一つのブラジリアンドリームを実現したのですね。こういう話、決して珍しくなく、「アフリカから連れてこられた奴隷」という存在ではなくなっても人種差別を受けてきたり、貧困のなかで育ってきたりしてきた多くのカポエリスタが生きてきた、ブラジルのストリートであり、夢であり、小麦粉ベースのストリートフードが今につながる歴史の道のりをつくってきているのだなとしみじみ思ってしまいます。

ところで、Capoeiraのうた(corrido)の一つに小麦粉が出てきます。

Eu vi a cutia com coco no dente
com coco no dente com coco no dente
Cutia(っていうネズミみたいな生き物)の歯にね、ココナッツはさまってたの見たよ、超はさまっててさー」
って感じの歌詞なんですが、そのなかで、
Comendo farinha, olhando pra gente
というところがあります。これ、farinha=小麦粉で、「小麦粉食べてね、人を(自分らを)見てるんだよ」っていう感じです。なんか、げっ歯類の生き物が、ココナッツ食って歯にココナッツはさまって取れなくてにっちもさっちも。で、小麦粉食べて、また余計歯にねっとりくっついちゃってもう本当ににっちもさっちも…… で、こっち見てるわー、って感じですね。ねっとりくっついちゃってどうにもこうにも、というシチュエーションは、あれですね、自炊おじさんが説明してくれたグルテン含有量が多い、的な、そういう状況でしょうね。

かわいいというか、おバカというか、ほのぼのというか。

ところでこの歌、カポエイラの中ではどういう意味をもつの?っていうのを、たまたま練習仲間のMちゃんがちょっと前にTOSHIさんに質問したらしいです。そのこと今一度TOSHIさんに確認したうえで、あらためて解説してもらいました。いわく、この歌は、jogo(二人でやる、対話的なカポエイラ。レジェンドっぽい感じの例はこちら。)やってるとき細かいちっさい動きばっかりしている人に、「おいおい!こまけーよ!」っていうときに歌うんですって。なるほどね、ちゃーんとカポエイラにおいて小麦粉が(そしてグルテンが)意味のあるメタファーとして使われているのですね。

さらには、小麦って枯れた土地で育つので、どこでも作ることができる、という自炊おじさんのお話に。それは、きっとカポエイラも同じ。どんなにつながりづらい状況でも、どんなに文化活動に対する抑制がきつくても、どんなに息がつまりそうな社会でも、したたかに強靭に、根を張りぶわっと実を結ぶ、そんな強さを小麦粉もカポエイラも持っているって、そんなちょっとキザなことが言えそうになった対話の夜でした。

clubhouseの「capoeira x 何とか」room、TOSHIさん(@capoeiratoshi)、Hirokoさん(@piyosawa)と共にコロナ禍で不定期開催しました。その記録です。自炊おじさん(@sekimax)もぜひよろしくお願いします。


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