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コロナでニオイが…なストーリー

インターネット上で集めた情報や身近なコロナ罹患経験者の話などに基づいてつむいだストーリー。リアルさを求め、コロナのひとつの切りくちにしてみる。特定の人に対する偏見や余計な詮索につながらないよう、あくまでもアノニマスで。複数のリアルから一人の像を描いてみる。

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コロナにかかった

というか、PCR検査で陽性だった。でもそれは、鼻の奥にぐいっと綿棒を押し込まれて、よだれを吐きながらなんとかこなした検査ののちに分かったことで、特にたいした症状はない。強いて言えば鼻炎。とにかく鼻がつまる。だけどこれは数ヶ月続いている花粉症の延長のよう。あとは、一日だけだるくて寝込んだが、遠出した後で疲れていたので、まあよくある話。半日ゆっくり寝たら元気になった。
検査をしたのは、友人が体調不良でPCR受けたところ結果が陽性で、その濃厚接触者として名前が上がったため。電話が来た次の日検査をしたが、検査結果はその日のうちには出なかった。はらはらしながら、少しゆううつな気分で結果を待った。陰性だったらメール連絡、陽性だったら電話が来る。
なんとなく嫌な予感はしていたので、とりあえずいろんなものを買い込んで、いつでも巣ごもり生活ができるように準備していたとき電話がなった。ああやっぱり、とゆううつなまま電話を取って、「残念ですが陽性でした」という保健師さんの声を聞いた。

今日から本格的に2週間引きこもり生活に。正直たいした症状はないから電話で保健師さんに「症状は」と聞かれても「特にありません」「強いて言えば、鼻炎。花粉症と思っていました。」

保健師さんは淡々と、でもきちんと優しげに、2週間の過ごし方の注意事項を電話ごしに伝える。私はというと、なんとなく上の空のまま相づちをうちながら、頭のなかでは、周りの人たちに何をどこまでどう話そうか、誰かにうつしてしまっていないか、そんなことばかり考えてひたすらドキドキ、ドキドキ、ドキドキ……

その後、改めて電話で聞き取り調査が入った。詳細に聞かれるが、そんなの覚えていない。会話をかわした大切な友人、すれ違ったかもしれない不特定多数、どこで、誰が、何を…?
あやふやな記憶からパラノイアがむくむくと膨らむ。

何も悪いことなどしていないのに、この罪悪感。

そして、2週間、家族とともに巣ごもった。家族とともにだったのは、家族が私の濃厚接触者だったから。家族一人ひとりに電話で聞き取りがあり、みんなPCR検査を受けた。

みんな陰性だった。

でも、PCR陰性って、ただ「陰性」というだけで、イコール「コロナじゃない」とは言えないらしい。そうだと思う。だって私の周囲に、陰性が多すぎる。いや、絶対うつってるよね、と思う人たちことごとく。

そんなことを考えながらも、感覚的には緊急事態宣言の延長のような、特別感のない自粛生活を送る。問題ない。

ただ、鼻炎は明らかに意地悪く存在していた。鼻がつまって途方もなく匂いづらい。ニオイが遠くにある感じ。ニオイが遠いから、ものを食べても味が遠い。

ニオイが遠い世界はつまらない。楽しくない。

美味しいニオイ、良いニオイだけじゃない。臭いというのがわからない。足の臭さがわからない。トイレに行っても臭くない。

これは、物理的に痛いわけでも苦しいわけでもないのに、とてもつらい。まず、自分がどれくらい臭いかわからないから、そのことによるパラノイアが半端ない。きっと今のオナラはやばい臭いに違いないとか、脱いだ靴はとんでもないニオイに違いないとか、今の自分はもう少し歯磨きしたほうがいいのかとかわからない。昨日のニンニクがわからない…

これで通常営業していたら、きっと外に出るのがつらくなる。パラノイアすぎて、ある日もういやになるだろう。だから誰にも会わない生活が2週間続くことにほっとする。

家族は、ここそこでちょっと体調を崩し、1日寝込むとか、半日熱出すとか、カゼ症状とか、コロナなのかコロナじゃないのか、決定打に欠く体調不良があり、それでも自粛生活のおかげで体力温存できるためか、ぐんぐん体調がよくなった。家庭内が、お互いを責めない、信頼できる関係でなかったら、これも修羅場だったろう。

その間、毎晩独りで、ニオイの感覚を確かめた。戻っているかなと期待したり、永遠に失ったままなのかなと不安に思ったりしながら、記憶をたどって強いニオイを思い起こす。
夜中に一番臭かったはずの靴に顔を突っ込んで思いきり鼻から空気を吸い込む。かすかにゴムのようなニオイがする。
石鹸のニオイを嗅ぐ。これまでは触りたくもなかったお中元な感じの石鹸の、おばちゃんの香水みたいなニオイがふわっとすることが、今の生きがい。バカみたい。
化学製品っぽいニオイはわりとわかる。だから、ニオイの不安が高まるとやたらデオドラントを使った。デオドラントは、ニオイを隠すだけでなく、ときにかすかな臭さも運ぶ。自分が絶対臭いときデオドラントをつけて臭うとデオドラントの化学製品っぽいニオイと同時にかすかに悪臭も感じるからだ。私はもう一生、以前の嗅覚は取り戻せないのかもしれない。だけど、デオドラントを鎧にして己を隠し、ときに、それで強い悪臭を察知して、誰にもバレることなく、独りでそっとそつなく生活してゆくのかもしれない……

そんなことを考えながら2週間が明けたころには、嗅覚が少しずつ戻っている。何かしらの匂いに気づくことに喜びを感じる。そして、そんな喜びに、自分の薄情さも感じる。

それは、ニオイがなかなか戻らないひともいるからだ。ある友人からは、いつまでも食事を楽しめないでいる感染者の知人がいると聞いた。感染していた私の友人も未だひどい頭痛を抱えている。そして、やはり、命を落とした人たちがこんなにたくさんいるということに心が痛む。一人ひとり違い過ぎて、これが全部同じウイルスなんて、同じ病なんて、と、個々人の努力であがらえないところにある否応なしな不公平を感じて、なんとも言えない気持ちになる。

だけど、毎日陽は昇り、私は通常営業に戻っていく。


雨の匂い
夕暮れのどこかの家庭の焼き魚の匂い
バイクが走りすぎたあとの悪臭

好きな人の、体温で香り立つシャツの柔軟剤の匂い

この世を再び匂いで捉えることができることに喜びを感じながら、それを失った友人を想う。

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ということで、コロナでニオイが、なストーリーでした。いろんな立場を知り想像しながら、思い合うことで、それがきっかけでつながったり、攻撃しないようになるといいなと思います。

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