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嫉妬の咀嚼、消化吸収、そして排泄と。

前職にいた時のこと。
長い梅雨の続く寒い7月に、後輩と西日本の方へ出張した。
僕と彼は元々同じ課に在籍しており、数年前に僕が別の部署に移ったので久々に一緒の仕事に携わった感じだった。
彼はソフトウェア担当のプログラマー、僕は格好をつけて言えばメカ担当のエンジニアで、客先で協力しながら作業を進めていった。
仕事は順調に進み、数日で特に問題なく完了した。

だけどその数日間、いや僕はこの出張が決まってから、ずっとモヤモヤした気持ちを抱いていた。
それを考えないよう誤魔化していたけれど、その気持ちは明らかに、彼に対する「嫉妬」であった。

彼の社内での存在感、客先での信頼度、自信に満ちた雰囲気。
事実、現場でも彼は客先から大きな信頼を得ていた。
その時会ったのは僕が5年以上前に仕事をしていたお客さんたちだった。
でも僕の事を殆どの人が忘れており、彼らは後輩の彼と今後のプランを相談するのに一生懸命だった。
そして器用にコミュニケーションを取りながら笑いを交えつつ仕事をしている後輩に対し、僕の入る隙は無いように思えた。

晩飯の後、僕は狭いホテルの部屋で一人飲んでいた。
そして自分の今の立場を振り返っていた。
今の仕事への不完全燃焼さ、諦念に似た思い、何に対しても盛り上がれない自分自身への葛藤をツマミにしていた。

それは明らかに、完全なる嫉妬だった。
それも昨日今日の仕事っぷりに対するものじゃない。
これは随分前からの根深い嫉妬だったんだなぁと自覚した。

話は更に10年以上前になる。
その後輩が会社に入る前のことだった。
僕はその頃携わっていた開発プロジェクトで発生したトラブル対応のため、中国を始めとするアジア圏に出張ばかりの日々だった。
忙しすぎて2年ほど、マジでテレビや流行の記憶が今でも無いほど、ハードスケジュールだった。

僕の当時のメイン仕事は外注のソフト会社と自社の装置との橋渡し役だった。
会議や打ち合わせで決まった仕様を僕がまとめ、外部の会社に伝えてプログラムを作ってもらい、そのプログラムが正常に動作するか実機を用いて評価、検査をするのが当時の仕事だった。

入社してから一緒だった、超優秀だが怖くてめちゃくちゃ苦手な先輩から離れて仕事が出来るようになり、僕はその会社で初めてやりがいのようなものを抱き始めていた。

その前年の年末から、担当していたプロジェクトでリリースした装置が異常動作が連発し、明らかにソフトウェアが一因だと思われていた。
それは会社が傾きかねないトラブルであったと、後になって知ることになる大きな問題だった。
しかし会社対同士の思惑やにらみ合いがあり、外注のソフト会社は担当者を海外出張者として認めてくれなかった。
(その会社は100%自分たちの不手際だと明確になるまでは、自社のプログラマーを出張に出さないというスタンスだった)

そのため僕は仕方なく一人で海外に出向き、現地で不具合の原因調査をしていた。
とりあえず行け、何か分かるまで帰ってくるな。
人質のような立場で僕は、中国の片田舎の工場にいた。
そして現地から、日本にいる外注のプログラマーと電話・メールでやり取りをしていた。
現地で不具合が発生した装置のデータを解析し、動作の異常を連絡する。
そのデータを元にプログラマーが対応し、変更プログラムをメールで受け取り、それを装置にインストールして、また動作の確認。
再び問題があればデータを送り、動作の問題点を電話で伝えた。

当時はスマホがない時代だったし、今よりも海外のネット環境が充実していなかった。
そのやり取りは、国際電話、ホテルでしか出来ないメールのやり取りに加え、日本との時差が足を引っ張り、遅々として進まなかった。

海外の担当者から、通訳を介して僕は何度もこう言われていた。
「あなたはプログラムが出来ないのに、なぜ一人で来るんだ」
「我々が必要なのは、この装置のプログラムが組める人間だ」
「端的に言って、あなたは必要ない」
通訳のヤツも、もっとやんわり伝えてくれよな、と思った。

そんな非効率な仕事のやり方に疑問を抱いた僕は、海外から電話で連日課長にお願いをした。
今のソフト会社と手を切り、社内にプログラマーの担当部門を作りましょう。
僕は社内のプログラマーと共に原因解明するのが最も効率的であり、生産的だと感じていた。
当時の僕は、その使命に駆られていたと思う。
帰国後には社内で、 2人になれるタイミングを見計らっては当時の部長にも直談判していた。

今思うと僕は当時、僕だけしか出来ない立場を任された責任感と多少の注目や同情や期待感に酔いしれていたのかもしれない。
ある意味マゾ的な、疲弊・消耗することを前提としてでも満たしたい承認欲求があったのだろう。

そんな折、帰国すると中途採用で入社した彼が同じ課の1人になっていた。
僕が直談判したから彼が選ばれたのか、と感じた。
5歳以上若く、スポーツで鍛えた無駄のない身体と、活発で自信家特有のまっすぐに向けた眼差しが眩しかった。
出張続きで疲れ気味の僕には、それがしんどかったのを覚えている。

彼が来てからは、社内でソフト担当の人物がいるという強みが如実になった。
その後の新規案件は、これまでの不具合の対策をし、さらに僕が着想していた機能を自由に盛り込むことが出来た。
前回のプロジェクトとは正反対に、初めから高評価を得たその案件は、ライバル会社を駆逐する勢いで売れに売れた。
その成果が評価されて後日社長賞を取り、それをベースとしていくつもの装置が開発された。

僕は(彼を呼び込んだ事も含めて)自分が作り上げた一連の成果に対して、自身が褒められ評価されると思っていた。
でも現実は、新たなプログラマーのお陰で大ピンチの状態からV字回復したという正反対の評価であった。
僕はその頃から、もっと言えば彼が入ってきた瞬間から彼に嫉妬していたのだろう。
なぜなら、僕が勝ち得るはずの評価は、全て彼が手にしたからだった。
僕の担当していた、外注のソフト会社との橋渡しという立場は不要になった。
それは、初めてやりがいを感じた仕事だった。
それは、課長が今後お前を中心にウチの会社で伸ばしたい分野だと言ってくれた仕事だった。
帰国するたびに周りから励まされ、頑張りやさんの新人というポジションは全て彼に置き変わっていた。

僕が上司たちに直談判した事が始まりで今の状況を作ったのに。
でも何も、誰にも、感謝されないという不満があった。
僕が現地で見つけたバグの対策を盛り込み、客先の要望を盛り込んで便利な新規機能をいくつも追加して完成度を高めたのに、全てはプログラムを組んだ彼の成果になっていた。
そして新人から中堅に近づいた僕は、社員全員にその存在をすっかり忘れられていた。

今思えば僕は、単にもっと褒めて欲しかったのだと思う。
プライベートの予定も無視され、現地でずっと頑張っていたことに対して、感謝して欲しかった。
開発プロジェクト全体の問題なのに、解決できずに1人帰国した僕だけが悪者になっていた事を謝罪して欲しかった。
そして明確にボーナスや給料という形での評価も欲しかったのだと思う。
でも何も得ることが出来なかった。

僕が正しいと思って取った行動は、皮肉にも僕の立場を脅かし、僕をメインステージの端っこに追いやってしまった。
安いヒロイックな思いに駆られ、自爆したのだ。
その現状に拗ねていたのだろう。
傷つき、悲しかったのだろう。

僕はそのプロジェクトが終わり、入社して6、7年目ともなるとすっかりやる気をなくしてしまっていた。
対照的に彼はソフト担当部門のメインとなり、うちの会社で無くてはならない人物に育っていた。
その輝きを見るたび、あの時まだやる気のあった自分を思い出されて辛かった。
輝ききれなかった自分の姿を見るのだろう。
お前の評価は俺のお陰だ、俺だってあのポジションのままなら、自分だけの得意分野を持っていれば、、、。
それが、モヤモヤの原因だったんだと気づいた。

あの時辛かったよな、お前。
相談できる友達もいなかったし、彼女は出張の度に浮気していたし。
そのあとデートしてた子も、出張ばかりで有耶無耶になったし。
父親とも仲悪かったから、実家にも逃げ場もなかったし。
まあでもそんな感じにしてはよくやっていたじゃないか。
自分に対してそう思えるような現状がある。
息巻き、被害者でもなく、自己中心的にならず、一歩引いて過去の自分を俯瞰で見ることができるようになった。
そしてそれが分かると、何となくだけれど、嫉妬が弱まるような感じがした。
それは完全には消えないけれど、金平糖が口の中で溶けて角が取れるように、丸くなって心の内側を容易に傷つけることは少なくなった。

そんな僕がいま思うことは、
・どんなに頑張っても全ては結果で評価されるということ。
でもそれは過程や努力がその基礎になるという事だ。
僕は当時がむしゃらだったけれど、努力や工夫が間違っていたから問題を解決できなかったってのが分かっていなかった。
頑張っていたけれど、自分の力では何も解決できなかったのだから、評価されるはずはなかった。
・自分一人で頑張っていたと思っても、さまざまな人のお陰でその仕事が回っていること
僕は当時全部自分だけでやったことだと思っていた。
でも幾度となく先輩や上司にアドバイスをもらい、そのアイディアを試していた。
全くもって、僕が全部一人でやったことなどなかった。
・時代は変わり、新人は中堅になるにつれ興味や期待をされなくなること。
新人時代は目立つし可愛がってもらえる。
成功したら褒められるし、失敗してもフォローして慰めてもらえる。
中堅になれば、ちゃんと出来て当たり前の存在で、特に気に留められない。
新人の頃に得た注目や承認をいつまでも引きずっていても、誰も何もくれない。
・現在の自分に何ができるか?最適解は?と模索し続けなければ、取り残されていくこと。
僕はあの頃のまま、そこから自分を変えようとしていなかった。
元々大した成果もないのに、その利息だけで食っていこうとしている自分が居た。
それじゃ仕事もつまらないし、成長もないよなぁと思った。

あの時は苦しかった。
今とは違う苦しさだった。
でも今後どうすべきなのかと、自分に対し前を向けた出張だった。
新幹線と電車を乗り継ぎ、最寄り駅に帰ってくると夜も23時を過ぎていた。
寒かった梅雨の季節が開けはじめており、湿度のある夏の夜の匂いがした。
季節が変わっていく時だった。
あの時から僕は、何か変わることができただろうか。
彼は良いヤツだった。
偏屈な僕にもフレンドリーに接してくれる人物だった。
嫉妬で気付けず、受け入れられなかった。
もっと彼の良さを認めて褒めてあげれば良かった。
今もきっと彼は、あの会社で上手くやってることだろう。

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