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【連載】生物多様性が生態系の安定性を生む?:多様性-安定性論争と数理モデル  第一回 まずはざっくりと

 この記事には数式が登場します.この初回の記事に関しては数式自体は全く理解しなくても読めるように書いたつもりです.


はじめに

 生物多様性は生態系の安定性を生み,そして強化する.恒常的な豊かさや擾乱からの回復を含めた安定性を生み,強化する.多種多様な生き物が全体として調和の取れた生態系や環境をなす.そういった自然観や生命観が,主にエコロジストと呼ばれる人々(私自身もエコロジストでしょう)によって,生物多様性を保護する根拠として提唱されてきました.一方で,壮大過ぎるようにも思えるその自然観や生命観は,それを示唆する観察結果が多く存在するものの,あくまで信仰という域に留まるもののように見えます.
 2024年3月,Science誌にその壮大な命題に新たな展望を与える論文([1])が投稿されました.論文のタイトルはずばり「Diversity begets stability」(「多様性は安定性を生む」),サブタイトルは「Sublinear growth and competitive coexistence across ecosystems」(「劣線型増殖と生態系を跨ぐ競争的共存」)であり,生態系に関する新たな数理モデルを提唱し,その帰結として「多様性は安定性を生む」ことを支持する内容です.本連載ではその数理モデルのモデル方程式(方程式(1))

$$
\displaystyle{\dfrac{dB_i}{dt}=r_iB_0^{1-k}B_i^k-z_iB_i-\sum_{j\neq i}A_{ij}B_iB_j \quad(i=1,...,S)}
$$

が本当に「良いモデル」なのかを考えて行きながら,数学的な「安定性」の概念や従来の数理モデル,生態系に関するその他の数理モデルを紹介するつもりです.因みに,$${S}$$は種数,$${B_i}$$は種$${i}$$の個体群密度(単位面積当たりの個体数),$${r_i}$$は種$${i}$$の出生率,$${z_i}$$($${< r_i}$$)は種$${i}$$の死亡率,$${A_{ij}}$$は種$${j}$$の個体群密度$${B_j}$$が種$${i}$$の個体群密度$${B_i}$$に与える影響を与えています.
 私も勉強しながら自分の勉強のためにも書いているので,途中で変なことを言ったり,脇道に逸れたり,突然話題が切れたりということがあるかも知れませんが,ご了承下さい.

「生物多様性」とは

 「生物多様性」という言葉が示すことは以下の三つかそれらを組み合わせたものに分類されます([2]):

  • 種の多様性:多くの生物種がいること

  • 生態系の多様性:複数の生物群集が構成する環境が多様なこと

  • 遺伝的多様性:同種の個体間でも様々な(遺伝的)差異,個性があること

方程式(1)に於いて主に扱うのは種の多様性であり,後々より詳しく解説しますが,自然数$${S}$$が種数,係数$${A_{ij}}$$が種$${j}$$の個体群密度(単位面積当たりの個体数)$${B_j}$$が種$${i}$$の個体群密度$${B_i}$$へ及ぼす作用を表しています.つまり論文のタイトル「Diversity begets stability」(「多様性は安定性を生む」)は「種の多様性は安定性を生む」と言い換えても良いでしょう.しかしこのことは方程式(1)の数理モデルが生態系の多様性や遺伝的多様性が安定性に不要であることを示しているということではありません.種の多様性は他二つの多様性の何れか一つでも欠いてしまうと成立しないと言われています.例えば,(遺伝子レベルでの)個性が無ければ同じウイルスの感染時に死に至るか至らないかの個性も生まれず,死ぬときは種がいっぺんに滅んでしまい,種の多様性が損なわれることになります.

数理モデルの意義(知らんけど)

 方程式(1)より一般の方程式(方程式(2))

$$
\displaystyle{\dfrac{dB_i}{dt}=P_i(B_i)+C_i(B_1,...,B_S) \quad(i=1,...,S)}
$$

を考えましょう.変数$${t}$$は時刻を表し,方程式(2)は時間発展方程式とも呼ばれる一種です.時間発展方程式はその名の通り,(今回の場合だと個体群密度$${B_i}$$)の時間発展を記述します.方程式(2)の左辺($${B_i}$$の時刻$${t}$$での微分(時間微分))は個体数密度$${B_i}$$の単位時間当たりの増加率($${i}$$がヒトなら単位時間当たりの人口密度の増加率)を表し,右辺第一項はその種自身の個体群密度が個体群密度の増加率に及ぼす影響($${i}$$がヒトなら人口密度が$${B_i}$$の時の出生や老衰の影響),第二項は他の種も含めた$${S}$$種類が成す生物群集内でのそれぞれの種の個体群密度が種$${i}$$の個体群密度の増加率に及ぼす影響(他の種に殺されたり棲家を追われたり)を,表しています.
 高校では微分の逆演算が積分であることを習います.方程式(2)では,左辺は$${B_i}$$の時間$${t}$$での微分なので,ざっくり言えば方程式を積分すれば時間$${t}$$の函数として$${B_i}$$が求まります.つまり,方程式(2)を具体的に表せれば,$${B_i}$$の時間発展が具体的に求まることになります.$${B_i}$$の時間発展は未来に於ける$${B_i}$$の値を含む情報です.方程式(2)の右辺の函数が定まれば,或特定の時刻に於ける$${B_1,…,B_S}$$の値から,生物群集延いては生態系の未来予測が一往可能になるということです.
 生物多様性は現在急速に失われつつあり,新たな大量絶滅期として現在が位置づけられるような状況です.ではその状況からどのような未来が齎されるのか,より危機的な未来を避けるために生物多様性はどうあるべきなのか,これらの問いを考えることが今緊急の最重要課題とも言えます.時間発展方程式の数理モデルは,正確性は別として,この問いに部分的な回答を与えます.
 論文[1]は方程式(1)により,このまま生物多様性が失われていけば生態系の乱れた危機的な未来が到来することを予言していることになります.
 また,モデルは「探求の指針」です.例えば運動方程式などを考えてみると,運動方程式を当て嵌めてもそれに反する結果が出る時,運動方程式を疑う前に先ず,「何か見落としている条件は無いか?」と問い,それで新たな天体や現象などの発見に繋がって来ました.

「お札はひとりでに増えはしない」、この命題を「お札保存則」と呼ぼう。[…]絶対的な真理ではないにもかかわらず、お札保存則に反することは「ありえない」のである。[…]一見お札が増えたかのように見える事態が起きたとしよう。われわれはしかし、それでもお札保存則の正しさを疑いはしない。なぜか。「お札保存則を維持するように他の原因を探せ」、これが暗黙の内にわれわれが従っている探求の指針だからである。

野矢茂樹『語りえぬものを語る』講談社,2020,p.189.

厳格な法則はそもそも世界を描写したものではない。それゆえ、それは世界が決定論的なあり方をしていることを示すものではありえない。なるほど、科学は決定論的な理念的世界像を描き出すかもしれない。だがそれは、けっして世界がその通りであるという主張として素朴に理解されるべきではない。現実世界は科学が描き出す決定論的な世界像からずれ、はみ出し続ける。科学はそのずれを見積もるべく、決定論的世界像を現実世界にあてがい、そこからこの現実世界を透かし見るのである。

野矢茂樹『語りえぬものを語る』講談社,2020,p.464.

モデルは建ててからが出発です.モデルを現実に押し当ててそこからのはみ出しとして新たな現実を発見していく,それがモデルの最も重要な使用の一つです.知らんけど.

多様性-安定性論争:従来の数理モデルの語ること

 方程式(2)の形で生態系を記述する数理モデルの登場は今回が初めてではありません.方程式(1)が登場する今迄,最も広く一般に支持されて来たのが,一般化Lotka-Volterrageneralized Lotka-VolterraGLVモデル

$$
\displaystyle{\dfrac{dB_i}{dt}=(r_i-z_i)B_i\left(1-\dfrac{B_i}{K}\right)-\sum_{j\neq i}A_{ij}B_iB_j \quad(i=1,...,S)}
$$

(GLV方程式)です.
 「8割おじさん」という言葉も記憶に新しいかと思いますが,COVID-19の中で西浦博教授がそう呼ばれるようになったのも,西浦教授がこのモデルを基礎に感染者数を予測し,流行拡大を防ぐには人との接触を8割削減することが必要という結論を導いたからです.西浦教授が基礎として用いたのはSIRモデルと呼ばれるもので,SIRという名は感染性保持者(Suceptible;感染症に対して免疫を持たない者),感染者(Infected),免疫保持者(Recovered;回復者)の頭文字を取ったものです.時刻$${t}$$でのそれぞれを$${S(t)}$$, $${I(t)}$$, $${R(t)}$$とすればSIRモデルは

$$
\dfrac{dS}{dt}=-\beta SI, \quad \dfrac{dI}{dt}=\beta SI-\gamma I, \quad \dfrac{dR}{dt}=\gamma I
$$

と与えられます.これも$${(B_1,B_2,A_{1,2},A_{2,1},r_1,r_2,z_1,z_2,K)=(S,I,\beta,-\beta,0,0,0,\gamma,\infty)}$$として,$${R}$$を「死んだ$${I}$$」と考えることでGLV方程式から得られます.$${r_1=0}$$は感染していない人は増えないこと,$${r_2=0}$$は感染者同士の接触は感染者の増加には関係ないこと,$${\beta}$$は感染者と未感染者との接触が感染者を生む(「$${I}$$が$${R}$$を捕食する」)割合,$${\gamma}$$は感染者のうち回復して感染者でなくなる人の割合(「$${I}$$の死亡率」$${z_2}$$)を表しています.
 その他国家の人口動態予測などでもGLVモデルが基礎に置かれ,群集生態学を代表する基礎方程式として現在までGLVは燦然と輝いてきました.
 しかし一方では,1970年代,このGLVモデルが,生物多様性の大きい複雑な生態系こそ安定であるというそれまでの生態学者の考えと真逆の結論を導くことが判明します.これが20世紀の生態学に於ける未解決問題の一つとして数えられる多様性-安定性パラドックスdiversity-stable paradox)であり,これに関する論争は多様性-安定性論争diversity-stable debate)と呼ばれています.詳しくは次回以降解説するとして,1970年代にGLVモデルから単純に導かれた結論は「個体群密度に於いて種間相互作用が種内相互作用よりも強ければ系は不安定」というもので,要するに「多種で複雑な種間関係を持つ生物群集の生態系ほど不安定であり,種の絶滅などが避けられない」ということです.
 これに対して,GLVをより複雑化することで解決することが試みられてきました.GLVを探求の指針として現実にあてがい,現実では如何に複雑なことになっているかを透かし見て来ました.地理的なネットワークなど複雑な条件を付けくわえたり,方程式(2)右辺の$${C_i}$$をより複雑なものとしてみたり(これはどこか苦し紛れ),そのようにして,安定か否かを抜きにしても少なくとも土いじりをすれば生物多様性が有るのは明らかなこの生態系が,如何にして生じるのか,ということを明らかにしようとされてきました.
 多様性-安定性論争は,GLVモデルと「多様性が安定性を生み強化する」という支持の堅い法則との,二つの探求の指針の間の鬩ぎ合いとも見ることができます.この鬩ぎ合いがまた一つの指針のように機能して多様性と安定性の関係を理解しようと試みられてきました.もし方程式(1)がGLVに取って代わるなら,この鬩ぎ合いの構造やこれまでの探求の枠組みがひっくり返ることになります.これが方程式(1)にワクワクさせられ,紹介記事を書きたくなる所以です.

どっちでも変わらなさそうな見た目から大差が生じる驚き

 一方で方程式(1)とGLV方程式の見た目は非常に似ています.どういう意味かといえば,方程式(1)を

$$
\displaystyle{\dfrac{dB_i}{dt}=\left[r_i\left(\dfrac{B_0}{B_i}\right)^{1-k}-z_i\right]B_i-\sum_{j\neq i}A_{ij}B_iB_j \quad(i=1,...,S)}
$$

と変形することで,方程式(1)とGLV方程式の違いが

$$
\begin{cases} r_i\left(\dfrac{B_0}{B_i}\right)^{1-k}-z_i, \\\\ (r_i-z_i)\left(1-\dfrac{B_i}{K}\right) \end{cases}
$$

(式(4))の間の違いということになります.方程式(1)とGLVそれぞれに於いて,式(4)は個体群密度が$${B_i}$$の時の(他種からの影響を考えない)種$${i}$$の増殖率を表します.これはどちらも$${B_i}$$に関する単調減少函数,つまり個体群密度$${B_i}$$が大きくなるにつれ値が減少していく函数で,どちらの値も個体群密度が下限(方程式(1)では$${B_0}$$,GLVでは$${0}$$)を取る時に最大値$${r_i-z_i}$$を取り,$${B_i}$$が或る値(方程式(1)では$${(r_i/z_i)^{1/(1-k)}B_0}$$,GLVでは$${K}$$)へと増加するにつれ$${0}$$へと漸近します.その或る値というのは,個体群密度$${B_i}$$が大きすぎると(環境の悪化や資源の不足などで)いつか増殖できなくなる,その個体群密度の限界値です.$${B_i}$$に関するこの単調減少函数に違いは視覚的には次のグラフの緑の曲線と青の曲線の差異に相当します($${B_0=1/16}$$,$${r_i=2}$$,$${z_i=1}$$,$${K=(r_i/z_i)^{1/(1-k)}B_0=1}$$,$${k=3/4}$$)

$${B_0=1/16}$$,$${r_i=2}$$,$${z_i=1}$$,$${K=(r_i/z_i)^{1/(1-k)}B_0=1}$$,$${k=3/4}$$とした時の式(4)を$${x=B_i}$$の函数としてみたグラフ.緑が方程式(1)に関するもの,青がGLVに関するもの.

が,例えば空間の単位を全球のように大きく取れば$${K}$$の値も莫大になり,その時この両者の曲線の差異は$${x=B_i}$$(このときは地球上の生息数)の値が小さい所以外では(どちらも直線的で)差があまり感じられないように見えると思います.
 因みに論文[1]のサブタイトルの劣線型増殖(sublinear growth)は,ここ(緑色のグラフ)で示された様な下に凸な個体群密度-増殖率関係のことを指しています.
 さて,式(4)のどちらの方が増殖率を表すのに相応しいのか,或はどちらも相応しくないのか,これが重要な課題として浮上します.論文[1]ではこの観点でも方程式(1)が相応しいという回答をしています.その根拠となるのが論文[4]で,1780種の個体群時系列の解析から,哺乳類,鳥類,魚類,昆虫に於いて,下に凸な個体群密度-増殖率関係が一般的であることが示されています.ただ,この下に凸な関係が何故どのように生じるかは未解明で,直観に反するような気もしますので,本当にそうなっているのか,モヤモヤは残ります.しかし少なくとも,方程式(1)によって,生物多様性が安定的に存在する要因がこの劣線型性にある,という可能性が浮上しました.これはとても興味深い非自明で驚くべきことではないでしょうか.

第二回予告

 次回はGLVモデルに就いて,それがどのようにして登場したかを,種の数が1や2の場合を見つつ,ざっくりと解説したいと思います.その通りに書くかは分かりません.
 次回以降は数学的な内容が続きます.前提知識としては主に大学初年度の微分積分学と線形代数学です.頑張ってできるだけ広く読めるように優しく書くよう努めます.

参考文献

[1] Ian A. Hatton et al. , Diversity begets stability: Sublinear growth and competitive coexistence across ecosystems. Science 383, eadg8488(2024). DOI:10.1126/science.adg8488
[2] 許斐有希『生物多様性とは何か?』,第15号 びっくり!エコ新聞,びっくり!エコ実行委員会(http://www.eco100.jp/ )2023.3.
[3] 時田 恵一郎, 多様性の進化と維持機構(<特集>進化の周辺), 人工知能, 2004, 19 巻, 6 号, p. 678-685, 公開日 2020/09/29, Online ISSN 2435-8614, Print ISSN 2188-2266, https://doi.org/10.11517/jjsai.19.6_678, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsai/19/6/19_678/_article/-char/ja
[4] Richard M. Sibly et al. , On the Regulation of Populations of Mammals, Birds, Fish, and Insects. Science 309, 607-610 (2005). DOI:10.1126/science.1110760

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