将来の夢をつむぐ。

小さい頃の将来の夢を覚えているだろうか。
パン屋さん、花屋さん、お医者さん、おまわりさん・・・
わたしの小さい頃の夢は、お医者さんだった。

病理医。解剖するお医者さん。
解剖をしたい。ずっとそう夢みていた。

幼稚園生の時から毎年母に夏、人体館に連れて行ってもらっていたわたしは、一瞬でホルマリン漬になっている臓器の虜になった。
これが、わたしのからだの中に全部あって、動いていて、これがひとつでも欠けたら、わたしはわたしでなくなってしまうのか。
そう考えていたらなんだかどきどきして、心拍数が上がって呼吸数が上昇して、目はきらめいて。
もっと、もっとこれを知りたい。
自分のからだの中にあるこれを。
いつしか小学校に上がる前には医者を目指すことになる。
(人体館に一緒に行っていた友人は看護師さんになった。もしかしたらきっかけは同じかもしれない。)

そして、そこからわたしは医療について貪りつくすこととなる。

わたしの家は図書館の近くにあった。
児童書コーナーは充実しており、医療についての本もたくさんある。
週末には図書館に行き医療についての本を読み、小学3年生になる前にはすべての医療書を読み尽くしてしまった。
それでは飽き足らず、隣町の図書館まで足を延ばし児童書コーナーの医療書を読み尽くした。
読書が好きな母に付いていき、香川県中の医療書を読んだ。
小学3年生になると、児童用の医療書では物足りなくなりディアゴスティーニの大人用の医療冊子を購読した。
英語と漢字だらけでよく意味は解らなかったが、イラストでなく外傷や病気の写真が掲載されており、とてもおもしろかった。
ある日、祖母が購入していた病院ランキングを読んだとき、1つの特集に目を奪われた。

病理医の記事である。

わたしがやりたかったことはこれか。
すとんと腑に、落ちた。

大人になった今、病理医になる夢は叶えられなかったが、解剖するという夢は叶えることができた。
臨床検査技師として、解剖に携わることとなった。
学生時代の病院実習中、10件の解剖に立ち会うことができた。

鎖骨下に1本、胸骨沿いに1本メスを入れる。
切れ目から黄色い脂肪が顔を出す。
途端に、人間からそれまで人間だったもの、人形になったような感覚に襲われ、そんな自分にゾッとした。
表皮を剥いで骨を電動ノコギリで切る。棒切れのようにいとも簡単に切れる。
メスで筋肉や肉を切り分けながら肋骨を外す。
黄色い脂肪にまみれた臓器が顔を、出す。

肝硬変で黒く縮こまった肝臓や脂肪にまみれた心臓、脳も持たせていただいた。
教科書とは違うそれらは、小さい頃見たホルマリン漬のものとは違い色鮮やかで、生きているようで、でも冷たくて。
ああ、亡くなられているのか。ご尊顔を拝見したら、少し涙が出た。

中高生時代紆余曲折あり逃げかけた時もあったが、わたしは将来の夢を叶えることができた。
人生軸の時間でいうと非常に短い時間ではあったが、
わたしの人生においていちばんしあわせで、満たされた時間であったと断言できる。

「解剖が好きだなんてこわい、意味が解らない」
散々言われてきた。
その気持ちはすごく良くわかる。きっといわゆる”普通”ではないことを言っているのだ。
だが考えてもみてほしい。わたしがすきなものを伝えることでひとの人生に何か影響を与えるのだろうか。
ひとに何か言われることがこわくて、自分で自分のすきなものを否定することに意味はあるのか。
自分がすきなものを自分で否定しなければならない、心苦しさを知っているのか。
自分のすきなものを素直に表現できない世界ほど、クソくだらないものはない。
”普通”ってなんだ。ひとの普通と自分の普通が同じである必要は全くない。
全員の普通の基準が同じ世界に住みたければAIにでもなれば良い。
近年は多様化の時代に突入し、昔よりアイデンティティが重要視されるようになった。
だが、まだ自分の普通を相手に押し付け、”普通”でない他者を排除するひとも残念ながらいらっしゃる。
また、自分自身も心の奥底で他者を排除してしまっていることも少なくはない。
他人の好きなものを否定する前に、その事由を想像してみてはいかがだろうか。
井の中から飛び出して色々な物事に目を向けた方が、人生はきっときらきらしたものに変貌する。
ステレオタイプな人間にならないよう、前だけを見すぎず生きていきたいものだ。

小さい頃の将来の夢を覚えているだろうか。
小さい頃の夢なんて大したものでない、そんな風に考える方も少なくないだろう。
わたしは、小さい頃の夢を叶えられてとてもしあわせだ。他に回すことができる容量が増えたからだ。
小さい頃のわたしもきっと、喜んでいることだろうと感じる。
もし小さい頃の自分が泣き出すことがあれば、たまには小さい頃思い描いていた自分について思い返してみてほしい。
胸張って、昔の自分に今しあわせだと言えるひとが増えますように。

名前も知らないあなたへ、また見に来てね。

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