オザケンの歌詞に見る「川」と「橋」
はじめに
こんばんは、はせ氏と申します。
写真はペンギン共と私です。
皆さんは12/24夜に放送された「ミュージックステーション ウルトラSUPERライブ」はご覧になりましたでしょうか。
「マツケンサンバⅡ」から、放送当日リリースされたKing Gnuの「逆夢」まで様々なヒットソングが披露されました。
今回はこの番組にも登場した小沢健二(オザケン)の楽曲についての記事になります。
小沢健二 氏
小沢健二について
小沢健二は小山田圭吾らと組んだフリッパーズ・ギターで1989年にデビュー。
1991年のフリッパーズ・ギター解散後はソロデビューし、1994年にはアルバム「LIFE」を発表。
「LIFE」は1990年代の邦楽アルバムを代表する名盤とされています。
2000年代から次第に表舞台から遠ざかり事実上引退状態となっていましたが、2017年に発表したシングル「流動体について」で本格的に音楽活動を再開。
その後は継続して活動を続けており、前述したミュージックステーション ウルトラSUPERライブでは「LIFE」に収録の楽曲「愛し愛されて生きるのさ」と最新曲「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」を披露しました。
オザケンと「川」と「橋」
「愛し愛されて生きるのさ」と「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」の2曲には共通点があります。
それは歌詞に関して、「愛し愛されて生きるのさ」の歌詞には「大きな川を渡る橋」が登場し、そして「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」の歌詞にも「橋」という単語が登場します。
まぶしげに きっと彼女はまつげをふせて ほんのちょっと息をきらして 走って降りてくる 大きな川を渡る橋が見える場所を歩く ー「愛し愛されて生きるのさ」
ブルックリン 橋を渡り中華街 次第にヴィレッジへ 君は笑う 僕はキュンとくる -「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」
この2曲に限らず、小沢健二の曲の歌詞には幾度となく「川」と「橋」が登場しています。
例えば、1996年発表のシングル「夢が夢なら」
ああ 夢の彼岸まで高く架かる橋 萌え立つ霧と蜜の流れる波をたゆたう姿 -「夢が夢なら」
2018年発表のシングル「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
幾千万も灯る都市の明かりが生み出す闇に隠れた 汚れた川と 汚れた僕らと -「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
2019年発表されたアルバム「So kakkoii 宇宙」収録の「高い塔」
stardust 落ちてくる 森に海に橋に 子どもたちを吼えさせる -「高い塔」
などなど…
「川」と「橋」についての考察
これらの歌詞に登場する「川」と「橋」は何を意味するのか?
単純に情景描写のために使われているとも考えられますが、私は「川」は「自分と、他者や目標との間に存在する隔たり・障害」というネガティブなもののメタファー、そして「橋」は「その隔たりや障害を乗り越えるための力」というポジティブなものを比喩しているのではないかと考えています。
それが最も分かりやすいのが筒美京平作曲の「強い気持ち・強い愛」ではないでしょうか。
長い階段をのぼり 生きる日々が続く 大きく深い川 君と僕は渡る 涙がこぼれてはずっと頬を伝う 冷たく強い風 君と僕は笑う -「強い気持ち・強い愛」
「長い階段」「冷たく強い風」といった困難のメタファーと並列して、「大きく深い川」が登場しています。
そしてその「大きく深い川」を「君と僕は渡る」、これは2人で橋を渡っていると解釈してよいでしょう。
「隔たりや障害」があっても、「それらを乗り越えるための力」を2人で培うこと、それこそが「強い気持ち・強い愛」なのだと歌っているのではないかと考えます。
また、前述のミュージックステーションでは「愛し愛されて生きるのさ」のイントロでコロナ禍についての朗読を行い、「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」の演奏に切り替わる際には「橋!橋を渡ろう!」と橋について強調していました。
これまでの考察を踏まえると、コロナ禍という他者との隔たりがある生活を乗り越えていこう、そういった視聴者へのポジティブなメッセージと捉えることができます。
おわりに
今回は小沢健二の歌詞に出てくる「川」と「橋」についての考察を行いました。
あんまり関係ないですが、オザケンは2017年の復帰以降年々若返って見えるのでやっぱり人前に立つのって大事だな~~と感じます
2017年のオザケン
最近のオザケン
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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