ブランクボックス1

 むかしむかし《ワンス・アポン・ア・タイム》……、その街にまだ鉄道が敷かれる遙か以前、街一番の働きものといえば、ウィリアムとベンジャミンどちらかである、というのがこの小さな街の総意であった。どちらも同じ印刷屋で職工として働き、その工場は朝雌鶏が鳴く前に灯りが点り、街中が寝静まった深夜にも月に負けず煌々と窓から光が漏れていた。
 その灯りの下にいたのが、この二人の青年であった。
 工場の誰よりも早く来て、誰よりも後に帰る。他の職工たちと違い働きながらビールを飲むこともせず、週末に貰った賃金を使い果たすようなどんちゃん騒ぎもしない。
 勤勉と誠実。まだ年若く血気も盛んな二人の青年の共通点であった。
が、共通点こそあれ二人の若者の気質は大違いであった。いや、ほとんど正反対であるともいえた。
 ウィリアムは算術と科学と実利、徹頭徹尾合理主義を哲学とし、ベンジャミンは詩と文学、自然そして信仰を愛した。
 ウィリアムが言った。
「鉄道はいずれこの大陸を横断して、この国中を走るだろうね」
「鉄道か。鉄道ね。しかし、キミ」とベンジャミン。「もちろん鉄道も、我らが人類の科学技術。文明さ。そう、文明。文明というものも大事だがね。僕らの仕事、活版印刷ももちろんグーテンベルクが生み出した偉大なる文明さ。だが、まさか文明が全てではあるまいよ。第一僕はあの蒸気機関というのはどうも好かん。臭い煙をこれでもかと吐き出し、やかましい音を出して走る。あんなものが果たして文明的といえるのかね?」
「実にベンジャミン的思考と言わざるをおえないな。厄介なのはベンジャミン、キミが文明を、活版印刷が本の製造に革命をもたらし、蒸気機関が本を、知識を、人をより早く、より多く、より遠くへ、運んでいるということを確かに認めているということだね」
「まさにウィリアム、キミの言うとおりなんだ。かたや人の文明、かたや神の御業、僕はこの半身が今にも引き裂かれるような思いなんだよ」
「キミが聖職者でなくてつくづく良かったと思うよ」
「キミと僕はお互い聖職者なんてものからもっとも遠いだろうからね」
「そうさ。なんたって、我らがボス。我らが親愛なる雇い主」とウィリアムが言って、
「偉大なる無能、虎の威を借る狐、でっぷり太った脂肪の塊、愛すべきマクドナルド印刷所のオーナー、キース・マクドナルド!!!」とベンジャミンが引き継いだ。「彼を印刷所から追い出したいがために、僕たちはこの街で一番の働き者なのだからね!」
 二人で大いに笑い合うのであった。
「いつか二人で独立し、ここの仕事を全て奪い取って憎きマクドナルドに目にものみせてやろうというのだからね、もっともあのマクドナルドの強欲を知れば天に召します我らが神も納得してくれるだろうよ。こないだだって、見ただろう? 州議会議員のMr.リンカーンがいらっしゃったときの媚びへつらいようときたら――……」
「そういえばベンジャミン。キミは大層あのリンカーン議員に気に入られていたじゃないか」
「なに、一ヶ月前に『信仰と資本』というパンフレットを書いて刷っただろう?」
「あれは見事だったな、ベンジャミンの文才の面目躍如ってところだった」
「よせよ。キミだって書けば一部の隙のない論文を書き上げるじゃないか……とにかくだ、あのパンフレットの内容に議員様が得心する部分があったとそれだけだよ」
「なかなかの人物だね、Mr.リンカーンは」
「ふふ、確かにね」とシニカルにニヤリとする。
「しかしだ、ベンジャミン」
「なんだい、ウィリアム」
「キミの信仰を否定する訳ではないのだけどね」
 唐突なその言葉にベンジャミンは小首を傾げる。「覚えているかい? その昔――僕たちがまだ鼻水を垂らしていた時分のことだ。教会の十字架を壊してしまったことがあったろ?」
「……ふふ、あったな」と薄く笑い。「不慮の事故でな」と強調するように付け加えた。
「ああ、もちろんだとも」ニヤニヤとウィリアムも抑えられないように笑う。「あれは故意じゃない。事故だよ。わざとなんかじゃなかった」
 幼い二人はとある夜に街の教会に忍び込むことを決意したのだった。その年代特有のいわば度胸試し、イタズラの類いである。しかし、彼らは忍び込んでのち、その教会を管理する神父に案の定見つかるのである。大慌てで窓から逃げ出す二人。そのときに、それは起きた。ウィリアムかベンジャミンか或いはその両方か、窓の側にかけられていた、その教会のシンボルともいえる大きな十字架、――少なくともその頃の彼らにとっては巨大過ぎるほど巨大だった――がひっかかり、地面に落ち、大きな音を立てたのである。幸か不幸か忍び込んだのが二人であることはバレずに翌朝には真っ二つに割れた十字架と神父の怒りと落胆のみが教会に残されていた。
「思わないかい? あれこそ神の不在の証拠であると。なんてことのない十字架を僕らは畏れ過ぎているのだよ」
「ウィリアム、僕はその逆なんだ」とベンジャミンは言う。
「どういうことだい?」
「未だに僕たちがあの十字架についてなんの罰も受けていないこと、それこそが大いなる神の慈悲、神の存在証明、それに他ならないじゃないか」
「ベンジャミン、この件に関してはキミとはつくづく意見が合わないな」
「全くだよ、ウィリアム」と互いに微笑を交わし、二人の街一番の働きものは今日も精一杯に働くのだった。

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